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コラム 2019年04月13日更新
"軽便っこ"の愛称で親しまれた仙台鉄道、山ノ寺駅
撮影/菅原 正 所蔵/風の時編集部
仙台と中新田を結び、「軽便っこ」の愛称で市民に親しまれた仙台鉄道(旧名・仙台軌道)。写真は山ノ寺駅で、昭和18年に排煙による火災で洞雲寺(山ノ寺)が全焼。1947年(昭和22年)のカスリーン台風、1948年(昭和23年)のアイオン台風と2度にわたる台風の被害に遭い、鉄橋や線路が流されたことなどから廃線。もともと非力な上に、乗客定員オーバーゆえ台原の坂を上れず降りて電車を押した想い出のある方も。
●もとの写真
●2015年の展示
●2018年の展示
[パネルに寄せられた来場者のコメントの一部]
※写真の内容や場所に直接関係のないコメントがある場合もあります。
▷山の寺停留所の上り(洞雲寺入口)右側の林が昭18年に火災
▷台原の坂を登りきれず、押した記憶がある(乗り過ぎたのか)
▷僕のおばさん、戦後すぐに、これに東照宮から乗って黒川高校まで先生として通勤 押した経験あるそうです
▷今でも泉区大沢の車屋さんのうらの川に橋のあとがあります。
▷東照宮~北仙台~中新田付近も軌道がありました。北仙台始発ではないです。
▷(上記に対して)仙台鉄道(軌道)は当初「通町」その後「社北仙台」がターミナルです。市電の乗入れで、北仙台に移転しました。
▷アイオン台風で七北田川が氾濫し、七北田鉄橋が破壊流出し、再建できなかったことが、廃線に繋がった。
▷1945年(昭和20年)7月10日未明の"仙台空襲"で被災した人々が生活物資を求めて、県北地域への"買い出し"に利用した。
仙台のどこかではあるけれど詳細がわからなかった古い写真を展示し、来場者のみなさんが知っていることや思い出をふせんで貼ってもらいます。そして、寄せられた情報をもとに「コレ」が「どこ」かを確定していく参加型展示です。このコラムでは、確定した写真の一部を紹介していきます。