コラム 2019年04月12日更新

愛称募集で決まった青葉通



愛称募集で決まった青葉通(昭和30
年代)

撮影/阿部幹夫 所蔵/風の時編集部

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雨の降る青葉通。元丸光デパート(後のさくら野百貨店)から撮影された写真。戦後の復興事業で、定禅寺通、晩翠通、東二番丁通などは既存道路の拡張だが、仙台駅前から西公園まで新しい道路を一本通すことになった。これが青葉通である。通り名の「青葉通」は、「広瀬通」とともに1947(昭和22)年に6千通を上回る愛称応募の中から選ばれた。当時、歩道と車道の間にはグリーンベルトが設置されていた。

●もとの写真

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[パネルに寄せられた来場者のコメントの一部]

※写真の内容や場所に直接関係のないコメントがある場合もあります。

▷㉓の交差点がみえる。東五番丁より仙台駅側はケヤキではなくヤナギ

▷青葉通丸光から

▷「パチンコ」の看板丸光の隣り(駅より)にあった小さなパチンコ屋さん

▷針久別舘 青木ホテル 丸光 改そう前



「どこコレ?」とは

仙台のどこかではあるけれど詳細がわからなかった古い写真を展示し、来場者のみなさんが知っていることや思い出をふせんで貼ってもらいます。そして、寄せられた情報をもとに「コレ」が「どこ」かを確定していく参加型展示です。このコラムでは、確定した写真の一部を紹介していきます。


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