インタビュー 2023年04月01日更新

【結婚の定義インタビュー・その1】40代独身、農家の長男


語り手 キャシー

1977年生まれ 宮城県出身・在住

インタビュー実施日 2023313

聞き手 MEME


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 宮城県北で代々続く農家の長男です。といっても、跡取りの父は母と結婚してから実家を離れて暮らしていたので、田畑のある家で生まれ育ったわけではありません。父と母と自分と弟の4人家族でした。

 父はサラリーマンをしながら、週末のたびに実家に通って農作業をする生活を続けていました。平日は夜遅くまで仕事して、土日は朝早くから農作業。それをこなしていた父は本当にすごかったと思います。自分もけっこう手伝ってました。免許もないし農業機械は扱えなかったので、手作業でできることですね。刈った稲を干したりとか。
 農作業があるので、家族旅行なんかしたことなかったです。ゴールデンウィークとか、田んぼは繁忙期ですし。
 母も宮城県北の出身で、父とは仕事関係で知り合ったみたいです。結婚してからは内職やパートをしながら主婦業をこなしていました。

  農家を継ぐことや、結婚して子供をつくることについて、父や母から何か言われた記憶はありません。でも祖父母からはずいぶん言われてました。父方母方両方から。
「大人になったら農業やれ、この家を継げ」っていうのは、小さい頃から刷り込まれてましたね。「絶対継がない」って、10代の頃から言っちゃってましたけど。
「早く嫁をもらってひ孫の顔を見せろ」っていうのも、10代の頃からさんざん言われてました。
 はじめはただ「うるさいな」というかんじだったのですが、時が経つにつれ「申し訳ない」という気持ちが強くなってきて......背景には、男性に惹かれる自分の性質がありました。

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 男の子が好きだという気持ちは、今思えば小学校低学年頃からあったのかな。同級生にすごく綺麗な男の子がいて、気になってずっと目で追ってました。
 小学校高学年くらいから、そういう気持ちがはっきりしてきたのですが、ゲイとか同性愛とか、そういう知識は全然なくて。こんな人間は世界に自分だけだと思っていました。だから誰にも言えなくて。一生隠していくんだろうなって。

 田舎が嫌で、大学は東京に行かせてもらいました。とはいえ入学してみたら、自分の代からキャンパスが神奈川の山の中に移ってしまったんですが(笑)でも、まっさらな場所で、1年生だけで1からつくりあげていくのは楽しかったですね。
 大学生ともなると、周りにカップルも多くなってきて。それで、自分も周りと同じように誰かと付き合った方が良いのかなと思うようになって、同級生の女の子に告白しまくっていました。当時、気になる人が男女合わせて常時10人くらいいたんですよね。今思うと、それが本気の恋心だったのかどうかよく分かりませんけど。でも男の子には告白なんてできなくて、女の子だけに告白していました。だけど全員に断られて。本気じゃないのが見抜かれていたのかもしれません。

 これまでの人生で、女の子に告白されて付き合ったことは、何回かあるんです。といっても深い関係になるわけでもなく、なんとなくうまくいかなくなって、自分からお別れしてしまったり。告白された時点でなんだか怖くなって断ってしまったこともあります。自分の方でも、素敵な子だなと思っていたんですけどね。

 大学生の時、ビデオショップでゲイビデオを見つけて衝撃を受けたんです。高かったけど何本も買って観まくりました。でもやっぱり、ビデオの中の光景が現実にリンクするものとは思えなくて。相変わらず、現実には自分みたいな人間は他にはいないと思っていました。

 学校を卒業してから実家に戻って、公務員を目指して勉強していたのですが、結局受からなくて。心身共にいろいろしんどい時期でした。
 「家の光」っていう農家向けの雑誌があるんですけど、美輪明宏さんの人生相談コーナーがあって。そこにセクシュアリティの悩みを投稿したりしていました。
 母にもとうとう打ち明けて。母は受け入れてくれたけど、「お父さんには言わないでね」って言われました。自分としても、父には言うつもりはありませんでした。弟には母から伝わったみたいです。
 そんな中、ネットが使えるようになっていたので、検索して仙台にゲイショップがあることを知り、アルバイトさせてもらったんです。なじめなくて結局数日で辞めてしまったのですが、当時の店長さんにとても良くしていただいて。仙台のゲイコミュニティの人を紹介してもらって、ゲイイベントにスタッフとして関わったり、HIV関係のボランティア活動に参加したりするようになりました。
 公務員試験はダメだったので、地元の会社に就職して、サラリーマンのかたわらゲイコミュニティの活動に関わっていくことになったのですが、その会社というのが「何かというと社員全員で風俗に行く」ようなところで。先輩に半ば無理矢理連れて行かれて断ることもできず、図らずも女性と接する経験を持つことになりました。一方で、ゲイコミュニティに関わって友人知人は増えたけれど、恋愛や付き合いをまだ怖がってしまう自分がいて。ボランティア活動には参加できても、ゲイバーや夜のイベントにはなかなか行けなかったり、ゲイの友人に告白されたのに断ってしまって気まずくなったり、そんな調子でした。
 その会社は数年で辞めて、何年か県外で働いてまた宮城に戻り、医療系の資格を取得して転職、現在に至っています。

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数年前に父が事故で突然亡くなったんです。祖父母が他界して空き家になっていた実家の家屋敷や、持ち山や田畑の管理、全部父がやっていたので、途方に暮れてしまいました。
 家屋敷だけは母が定期的に風を通しに行っていますが、田畑は今はもう、荒れるに任せています。母とは、自分たちが元気なうちに始末をつけようねと話しています。そうしないと将来、県外に居を構えた弟一家に負担がかかってしまうことになりますから。
 とはいえ、父方の親戚たちがうるさいので、かれらが元気なうちは処分はできないですけどね。「本家がなくなるのは嫌だ」って言われて。母は嫁なので、やっぱり強くは言えないみたいです。
 うちだけじゃなく、実家のあたりはもう、荒れ果てた田んぼだらけです。どこの家も継ぐ人がいなくて。作れば作るほど赤字になるような状況じゃ、誰も継ぎたがらないですよね。農"家"といいますが、家族経営はもう限界だと思います。企業化・組織化するとか、もっとすすめていかないと。

 父は自分に、これをしろとかあれはやるなとか、一切言わない人でした。田んぼを継げとも、嫁をもらって子供をつくれとも、父からは全く言われたことがありません。田んぼを継ぐ気がないことは、かなり早い段階から伝えていましたが、それで怒られることもありませんでした。まあ、それに関しては父も、今の時代に田んぼはもう無理だと感じていたんだとは思いますが。でも、本当は継いで欲しいと思っていたんじゃないかという気もします。
 父は自分のこと、どう思っていたんでしょうね。自分が男性に惹かれる性質だということも、父に伝えることはありませんでしたが、気づいていたのか、どうか。聞いてみたいことがたくさんありますが、今となっては叶わない話です。

 子供の頃は、「女性と結婚して子供をつくる」という"当たり前"のレールに、自分も大人になったら自然に乗っかっていくんだろうな、と、なんとなく思っていたのですが、男の子に惹かれるようになって、そうじゃないんだなって。孫の顔が見せられなくて申し訳ないって、ずっと思っていました。
 そんな"当たり前"のレールに乗らなくてもいい、と心から思えるようになったのは、父が他界してからのような気がします。父は抑圧的な人ではありませんでしたが、それでもやっぱり、何か解放されたようなかんじがあって。
 ゲイコミュニティに関わるようになり、多様な性のあり方やライフスタイルがあることを知りましたが、それでもまだ、"当たり前"に縛られているところがあったんだと思います。
 子供連れの夫婦なんか見ると、「うらやましい」って思っちゃってたんですよ。"当たり前"のレールに自ら喜んで乗っかって、幸せを感じているように見える人たちが妬ましいというか。でも最近では、そんなこともなくなりました。人それぞれで良いじゃない?みたいに思えるようになったんですよね。
 あとは、弟が結婚して、子供もできたので、それでだいぶ気が楽になった面もあると思います。

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 女性を嫌悪しているわけではないので、いわゆる"友情結婚"はやろうと思えばできなくはないと思いますが、自分のエゴで不幸な人を増やすようなことはしたくないなと思います。そもそも、誰かと一緒に暮らしたい、という気持ちがもともと薄いんですよね。正直なところ、子供が欲しいとも思わないです。自分にちゃんと育てられるとも思えないし。子育てには関わらないけど精子提供で自分の遺伝子だけは残したい、という願望もないですね。
 最近話題の同性婚も正直ピンとこないです。世間一般がこれだけ結婚離れして、価値観も多様化してるのに、もともと多様であったはずの性的マイノリティが保守的な結婚の枠組みに自らを押し込めようとしているのが釈然としないというか。

 自分の老後ですか?医療系の資格も取りましたし、働けるうちはずっと働いて、独り暮らしできるうちは独り暮らしして生活したいですね。ゲイだけの老人ホームなんて夢物語もよく語られますが、絶対ケンカになりそう(笑)無理に一緒に暮らさなくても、コミュニティスペースみたいな場を時々設けていろんな人と交流したりできたら良いですね。
 あと、やっぱり老後に田舎は大変です。病院かかるのも一苦労だし。老後は仙台の都心部あたりに住めたらと思っています。

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(写真提供:キャシー)



合成音声朗読バージョン(ニコニコ動画)
【結婚の定義インタビュー・その140代独身、農家の長男【A.I.VOICE栗田まろん】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42002899

 


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