インタビュー 2023年07月26日更新

【結婚の定義インタビュー・その2】関係が壊れたときのためにこそ、制度としての結婚が必要だと思います


語り手 non

1982年生まれ 大阪府出身・宮城県在住

インタビュー実施日 2023年718

聞き手 MEME


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 彼女と出会ってからもう15年近くになります。私がやっていたブログを彼女が読んでくれてたんですよね。当時私は関西、彼女は宮城に住んでいて、最初はおたがい顔も知りませんでした。それぞれ別に恋人がいて、恋愛でいろいろ悩んでいた時期だったので、私の文章に感じるものがあったのかもしれません。結局ふたりとも当時の恋人とは別れて、電話で頻繁にやりとりしているうちに、好きになっていきました。
 彼女は子供の頃からずっと女性が恋愛対象の人でしたが、実は私、それまで好きになるのは男の人ばかりだったんです。「身体が女性、心が男性」の人とお付き合いしたことはあったのですが、身も心も女性の人とのお付き合いは初めてで。でも、彼女と出会って、自分にとって好きになるのに性別は関係ないんだなって。
 それで、宮城と関西を行き来して何度か会ったりしているうちに、私が彼女の地元の宮城に移住して、一緒に暮らそうという話になりました。
 女同士だから、法律上の結婚はできない。じゃあ今の自分たちにできることって何だろうって考えてみると、やっぱり一緒に暮らすことかなって。
 東北とは縁もゆかりもない中で移住を決めたので、関西の友達にはずいぶん心配されました。でも私、子供の頃から周りに外国の人が多くて。将来は海外に住みたいな、なんて思ったりしてたので、それに比べたら同じ日本だし地続きだし、全然遠くない。無理だと思ったらいつでも帰れるし、なんてことないって思ってました。
 そんなこんな、仲の良い友達には詳しい事情も話していたのですが、自分の両親には、同性愛とか言っても理解してもらえないだろうということは分かっていて。だから両親には「仕事の都合で東北に行く」って説明してました。
 彼女の方も、当時は自分が女性とお付き合いしていることについて「親きょうだいには一生隠し通す」って固く決意してたんですよね。だから「女友達と同居する」ということにして。近くに暮らす彼女の親族と会うときには、あくまで友達としてふるまっていました。

 一緒に暮らし始めたばかりの頃は、本当にケンカばかりでしたね。好き同士とはいえ、赤の他人が生活を共にするわけですから、価値観のぶつかりあいです。女同士の私たちには、「夫はこうあるべき、妻はこうあるべき」みたいなマニュアルもなかったので、とにかく話し合ってふたりにとってのベストを考えていくということの繰り返しでした。でも、これって今思えば男女の夫婦にとっても大事なことですよね。マニュアル通りがなじまない人たちだっているわけですから。

 

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 そんなふうに彼女と暮らし始めてしばらく経った頃、東日本大震災が発生したんです。そのときはたまたま彼女と一緒にいて。海の近くだったので、ふたりで乗っていた車で避難所に逃げました。
 でも、避難所に着いてみると、建物の中はすでに人でいっぱいで入れなくて。ふたりでいることで怪しまれてしまうのは嫌だなという気持ちもあって、車の中で一晩過ごしました。
 結果的に、私たちの自宅も彼女の実家も、大きな被害はなかったので、発災翌日には自宅に帰って、停電の中ふたりでスーパーに並んだりして物資確保に奔走したのですが、どこに行ってもやっぱり、人目が気になってしまって。こんな大変な状況の中で、なんでこの人は家族じゃなくて友達と一緒にいるの?って、彼女が変に思われるんじゃないか。ふたりの関係がバレてしまうんじゃないか、って。だからできるだけ、彼女と一緒にいる自分の気配を消すように、存在感を出さないように努力してました。
 私たちの自宅に彼女の親族が何日か避難してくることになったときも焦りましたね。寝室のダブルベッド見られたらどうしようとか。バレないようになんとかごまかして、事なきを得たのですが。
 あのときの経験は大きかったです。彼女もやっぱりいろいろと、思うところがあったみたいでした。今回はたまたま一緒にいたから良かったけれど、もし離れ離れで被災していたら。自分たちの関係を秘密にしたままでは、おたがいを探すこともままならないんじゃないかって。

 そういったことをいろいろ考えていく中で、これからもふたりで暮らしていくんだったら、ふたりでお世話になっている人たちにきちんとごあいさつする機会が欲しいと思うようになりました。それで結婚式を挙げることに決めたんです。
 当時はちょうど、ハリウッドスターの同性カップルが結婚式を挙げたりして話題になっていた頃でした。日本の東北ではどうなんだろう?と思って、試しに宮城県内の結婚式場に「同性カップルでも結婚式挙げられますか」っていくつか問い合わせてみたら、ダメですっていうところ、1カ所もなかったんですよね。だったら結婚式挙げちゃおう!って。ふたりとも実は、結婚式とかウエディングドレスに憧れというのは全然なかったのですが、大切な人たちにふたりの関係をきちんと伝える良い機会になると思いました。それに、法律上同性婚ができない今の社会でも、女性ふたりで生涯を共にしようと真剣に考えている人たちもいるんだよって、世間に知ってもらいたい気持ちもあって。
 挙式するって決めてから、彼女の親族やまわりの人たちに、徐々にふたりの関係を伝えていきました。最初は泣かれたりもしましたが、だんだんと家族として受け入れてもらえるようになって。そうやって1年かけて準備して、ついに迎えた結婚式当日は、式場に来てくれたたくさんの人たちに祝福してもらうことができて、本当にやって良かったと思っています。

 とはいえ、世間の多くの夫婦がそうであるように、結婚式を挙げたからといって末永くずーっと仲良し...というわけではなく、その後も大ゲンカして別れる寸前まで行ったこともありました。でもやっぱり、おたがいふたりで一緒にいたいって思って、踏みとどまったんですよね。いろいろなことを経験して、「ふたりでいる」ということに、腹がくくれていったかんじです。

 私の両親はかなり保守的な人たちで、「お前のような未熟者はひとりで気ままに生きていても人間として成長できない。結婚して誰かと共に生きてこそ成長できるんだ。だから早くちゃんと結婚して自分中心ではない生き方をしなさい」って、ずっと言われて育ってきました。もちろん離婚なんてもってのほかです。だから私にとっての結婚のイメージって、重くて怖い、自分を縛る鎖のようなものでした。結婚願望も全然持てなくて。そんな私が、彼女と「結婚」というかたちで共に生きているというのもなんだか不思議な話です。確かに、彼女との生活ですごく成長できている実感があるし、両親の言っていたこともある意味では当たっていたのかもしれません。もっとも、両親はいまだに、私と彼女の関係を受け入れてはくれませんけれど。

 

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 出会って10周年の記念の年に、ふたりでカナダ旅行に行って、法律婚してきました。カナダでは同性婚が法制化されていて、外国人旅行者でも手続きすれば結婚証明書がもらえるんですよね。日本国内で法的に意味を持つわけではありませんが、やっぱり感慨深いものがありました。
 カナダで結婚手続きをして驚いたのが、同性婚が特別なものではなく、ごく当たり前のものとして受け入れられていたことです。友達のカナダ人女性カップルがエスコートしてくれたのですが、近所の人に会うたび「このふたり日本から来ててね、さっき結婚したのよ!」って紹介してもらって。そうしたらみんな「素敵!おめでとう!」って、何の違和感もなく祝福してくれて。女同士だからどうこうとかそういうのは全然なくて、あくまで結婚そのものを純粋にお祝いしてくれてるかんじだったんですよね。特別じゃなくいられること、オープンでいられることがこんなにもラクなことなんだって、肌で感じて本当にビックリしました。
 そして実感したのが、制度ってやっぱり大事なんだなって。制度があることで、こんなにも人の感覚が変わるものなのかって。

 今の日本では女同士男同士で法律上の結婚はできません。だからたとえば私が彼女に突然飽きられて捨てられても、私は法律上の妻と同じように補償を求めることはできない。不公平だなって思います。
 結婚制度って、ふたりの関係が壊れたときのためにこそ必要だと思うんです。たとえば別れることになったとき、弱い立場の人がちゃんと守られるように。今の私は制度を使えないから、何かあったときのためにも自分でしっかり働いて稼いで、自立しておかないと、っていう気持ちは、やっぱり強くありますね。

 とはいえ、今は私も彼女も元気で仕事に打ち込んでいますが、これから歳を取っていけば、身体も心も衰えていきます。結婚してもおたがいしっかり自立するのが大事だとは思いますが、この先それができなくなったとき、いかにうまく依存し合うか。長年積み重ねてきた関係の上で、人生の苦しいときにふたりがいかに支え合うか。もしかしたらそれこそが「結婚」というものなのかもしれません。そんなことを最近では思っています。

 

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(写真提供:non

 

合成音声朗読バージョン(ニコニコ動画)

【結婚の定義インタビュー・その2】関係が壊れたときのためにこそ、制度としての結婚が必要だと思います【VOICEVOX:波音リツ】https://www.nicovideo.jp/watch/sm42555273

 


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