インタビュー 2018年02月07日更新

【OUTのその後・4】カミングアウト/クローゼットのその先にあるもの part2


カミングアウト/クローゼット【OUTのその後】
このシリーズは、2016年3月に実施された「OUT IN JAPAN東北プロジェクト」に関わった人たちにインタビューを行い、ひとりひとり多様である「カミングアウト/クローゼット」のありかたについて見つめ考えるものです。詳細はこちら

武田 こうじ(タケダ コウジ)
1971年生まれ
宮城県仙台市出身・在住
詩人
シスジェンダー 異性愛者

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セクシュアル・マイノリティのコミュニティに関わって

ーところで、そもそもセクシュアル・マイノリティのコミュニティに関わるようになったきっかけってなんだったんですか?

 海外の詩人や映画監督には、ゲイなどのセクシュアル・マイノリティの方も多く、その方たちの作品が好きだったので気になっていたというのはありました。あとは...さっきも言ったような、自分自身の性への関心というか...恋愛などに対して...そういうことをいつも考えてしまう自分を解き明かしていきたいという思いがありました。ずっと、そういうことに囚われて生きてきたところがあったので。あと、単純に不公平なこととか、差別があるっていうのは良くないと思っているので...自分になにができるわけでもないのですが...社会の中でそうしたことがどう話題になっているのかは気になっていました。そうしたら、2015年に開催された『東北レインボーSUMMERフェスティバル』(※東北でセクシュアリティに関わる活動をしている諸団体の協働により宮城県仙台市にて開催された、多様な性のあり方を祝い楽しむ祭典)に、声をかけてもらって出演させてもらって...そこからさらに、いろいろ考えるようになり、こうしていろいろと関わらせてもらっている感じですね。

 そのフェスティバルに出演したことで、良いメッセージを投げかけられたと思っています。所謂セクシュアル・マイノリティの当事者じゃないけれど関わってもイイんだ、とか...。出演した後は、いろんな方...ストレートの方たちに...「どうだったか」よく聞かれました。みんな、興味はあるけど「直接聞いていいのかな」みたいなことはあるんだと思います。「そういう人たちって普通に話してくれるの?」とか、「今さら聞いたら嫌がられるよね」とか、けっこう言われるんですよね。意外かもしれないけれど、そういう...いろんな話ができる場を求めているのではないかと思います。ぼく自身も「もっといろんなことを話してみたい」って思いますしね。それこそ恋愛のいろいろな形についてとか、そこに関係してくるそれぞれの立場の話とか、お互い分からない感覚だとは思うのですが...どこか共通する部分も絶対あると思うから...活動がどうとか、社会に異議を唱えようとかの前に、「それってやっぱり興味あることだから、いろんな話したいよね?」「そういう話って面白いよね」っていうことを話すことができる場があるといいのかなと思ったりはしますね。


「東北レインボーSUMMERフェスティバル」(2015)
武田さんによるポエトリー・リーディングのようす


ーちなみに、『東北レインボーSUMMERフェスティバル』に出演した時、出演することで「ゲイだと思われるかも」みたいなことは思わなかったですか。「ゲイは芸術的センスに優れている」みたいな偏見がある中で、詩人である武田さんはある意味、世間のイメージするゲイの一典型だったりするんじゃないかと思うんですけれど。実際に私も、「その出演者の詩人の方ってゲイなんですか?」って聞かれたこともあったりしたんですよね。

 うーん...そういうのも面白いかなって思っちゃっていましたね。「あの人なんで出ているんだろう?」みたいに思われたりするのもイイのかなと思って...だけど、まあ...自分の暮らしている街のイベントなので、みんな分かっているのかなとも思ったりはしていましたが...。だけど、フェスティバルの後、レポート記事がゲイ雑誌に載って、そこに自分の写真も掲載された時は、ちょっと気になりました(笑)。



ーもうひとつ...ちなみに、関わってみて、男性に興味が出てきたり、やっぱり女性になりたいとか、そういう目覚めがあったりは?

 それはなかったですね...。以前は、街を歩いていると、すれ違いざまに男性にお尻を触られたりっていうことがけっこうあって、自分にもそういう要素があるのかなって、思ったこともあったんですけど...。その時、ときめいたりしなかったので(笑)...今回もそういうのはありませんでした。


OUT IN JAPAN&CLOSET IN JAPANについて「見る側」として感じたこと

ーOUT IN JAPANについては、武田さんはノンケなので被写体にはなれないお立場だったわけですが、「見る側」として、実際に写真展でOUT IN JAPANの写真をご覧になってどう思われましたか。

 OUT IN JAPANの写真は、2016年11月に多賀城市立図書館で開催された写真展に行って見たのですが(『多様な性を考える What's LGBT? 企画写真展』)。ぼくは、写真が好きで、写真集をけっこう買ったりもしているので...単純に、「この写真良いな」っていう率直な感想もありました。一枚の写真にアート性もあって、そこから訴えてくるものもあって。だけど...MEMEさんたちから撮影会の裏話いろいろ聞いちゃってるから(『【OUTのその後・3】CLOSETが潜入!OUT IN JAPAN part2』)、フラットに見られないっていうのも、正直あったんですけどね(笑)。

 教えてもらった話の中で...撮影現場のテンションがすごく良かったっていう話があったじゃないですか。そういう話を聞いたりすると、一流のカメラマンのマジックというか...アーティストってそういうすごさを出せるんだなあ...とか、そういうところにも興味が湧きましたね。

 それと同時に、そこに込められているメッセージということを考えた時に「これって、どういうことなのかな?」って、いろんな角度で考えてみないといけないなと思いました。参加したみなさんが写真を撮られたことをどう考えているのか、ということ...。つまり、カミングアウトするか/しないクローゼットのままなのか、写真を撮られるか/撮られないかだけで分かれてしまうと...「どっちかを選ばないとダメ」みたいなことになってしまって。写真展を見に行くぼくたちも、セクシュアル・マイノリティの人たちは「どっちかで活動しているから、どっちかを尊重しなきゃいけない、あるいはどっちも尊重しなきゃいけない」みたいに感じてしまって、ほんとうはその中にもいろんなグラデーションがあるんだ、っていうことが、見えづらくなってしまうんじゃないか、という気がしました。メッセージが単純化しちゃうというのは、そういう危険性があるような気がして...そう考えると、どっちでもない第3の道もあるよ、という取り組み方も、大事だと思いますね。動くのと、動かないのだけではなく、その間にいることの可能性というか...。

 ぼく自身は詩人として活動している以上、名乗らなきゃいけないし、人前にも出なきゃいけないと思っていますが、アーティストの中でも"フェイスレス"...顔を出さない、という形で活動している方もいて...それは自分のキャラ性で活動するのではなく、作品だけを評価してほしいというメッセージがあるからなんですよね。セクシュアル・マイノリティの人たちも、自分なりの必然性があって、クローゼットを貫いているのであれば、なにかに迫られて、表に出ることもないと思いますね。



ー武田さんには、OUT IN JAPANの写真展をご覧いただいた一方で、カミングアウト/クローゼットについて考える交流会『私がカミングアウトしない理由~CLOSET IN JAPAN~』にも参加していただいて。サプライズで『なまえ』(「RE:プロジェクト通信」第3号に掲載)という詩を読んでいただいたりしたんですよね。

 はい。さっきの話にかぶりますが、OUTもCLOSETも、どっちでもないも、ありだなと思って参加しました。
 イベントの内容の話になれば、単純にあの場は、話しやすくて楽しかったです。ステージ主体のイベントだと、なかなかみなさんと話すのって難しいし、「なにも分かっていないのに、行っていいのかな?」って思ったりすることもあると思うのですが、ああいうお茶飲んで、ただおしゃべりして、という場だと、参加しやすかったとぼくは思いました。


語られないことに思いを馳せるということ

ーカミングアウト/クローゼットといえば。東日本大震災の経験にしても、言っていない、言えていないことがみんなまだたくさんあるはずだと思うんですけど、それを伝えることばかりが正しいのか、という思いも、個人的には、最近はちょっとあったりするんですよね。「語られないことがあって当たり前」というメッセージは、あまり語られないような気がしていて。「そんなこと分かっているから言わないんだ」って言われるのかもしれないんですけど。でもやっぱり、語られないことはなかったことにされがちというか。震災関連のアーカイブなんかも、震災直後であれば、アーカイブされているのは実際にあったことのほんの一部だっていう共通理解があったと思うんですけど、何年も経つ中でだんだん、記録にないことはなかったことと一緒にされるんじゃないかっていう恐怖があったり。あるいは、ネット検索して出てこないものは存在しない、みたいな。「語らなくてもいい」「語られないものもある」ということを伝えるのは、なかなか難しいなあと、思ったりしているんですけれど。

 ぼくも震災関連のお仕事をさせてもらっていますが...「伝えよう」って騒げば騒ぐほど、伝えたいことがない、伝える必要がないと思っている人との距離ができてしまうような気がします。
 伝えなくても良いし、伝えても良いし、って当たり前のことだと思うのですが...それだとイベントにはならないですよね(笑)。でも、その、そもそものところを理解していかないとダメなんじゃないか、という話をよくするのですが...ぼくはそのことが大切なことだと思っているので。



ー写真には写らないし、言葉にもできないこと、そこを想像する力というか、たとえばOUT IN JAPANの写真を見た時に、その背後にあるいろんなものをどれだけ想像してもらえているのかなあ、というのも考えたりします。ただ「かっこいいね」「勇気あるね」以上のものをどれだけ思ってもらえているのかなって。もちろん、あのプロジェクトとしては、そこまで思われなくても良いのかもしれないですけど。

 そうですね、見えていないものが見えてくるっていうことがあると思うのです。「はっきり見えているわけじゃないけど、確かにある」みたいなこと...。そういう感覚っていうのは、芸術だけじゃなく、震災後のまちづくりにおいても大事なことだと思います。もちろん、詩を書いていくうえでも大事なことですが。


2017年12月6日 せんだいメディアテークにて
聞き手:MEME

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