報告 2014年07月24日更新

鷲田清一館長・随行録 - 2014年6月29日


リアス・アーク美術館(気仙沼市)にうかがう。

レポート:佐藤泰

鷲田館長が月一度のペースで来仙するたびに、それまでの雨や雪がぴたりと止む。そんなことが2013年4月の就任以来1年以上にわたって続いたこともあって、メディアテークでは鷲田館長・晴れ男論が自他ともに定着しつつあった。

6月29日は、館長として久しぶりに被災地を訪問する日である。東北地方は発達した低気圧と寒気の影響で、各地に激しい雷雨の予報が出されていた。さすがの晴れ男もここまでかと諦めていたのだが、仙台を発つ午前11時頃になるとそれまでの黒々とした雨雲から一転薄日が射し始めた。雷雨の予報すら覆すとは、いよいよ本物の晴れ男かもしれない、などと冗談を言い合いながら、私たちは東北自動車道を北上した。

今回の旅の目的地は、気仙沼のリアス・アーク美術館である。昨年3月の全面再開とともに公開を開始した常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」を見学し、担当の山内さんのお話を聞く予定だ。随行するのは、メディアテークの並河副館長、清水企画事業係長と私のほか、たまたま調査のためにメディアテークに来られていた甲南大学教授の西川麦子さんを加え、合計4人。西川さんは、文化人類学がご専門だが、アメリカのUrbanaという街のコミュニティFM(WFRU)局で、日本語のラジオ番組「Harukana Show」を主宰している。アメリカの小さなコミュニティ、あるいは人間関係を基盤としつつ、日本語を使い、スカイプやpodcastを活用して時間と空間を軽やかに超えていく取り組みは、私たちの現実をつなぐ新しいメディアの可能性を開きつつあると言えるだろう。気仙沼までの道中、西川さんと鷲田館長とのあいだでは、コミュニティにおけるメディアやアートのありかたについて、それぞれの経験にもとづく話に花が咲き、1時間半があっという間にすぎた。



昼食で立ち寄った復興屋台村気仙沼横丁
昼食に立ち寄った復興屋台村気仙沼横丁

連絡船乗り場の脇に仮設された復興市場に着く頃、車の外はいつのまにか大雨になっていた。「ああ、ついに傘をさすことになった」と悔しそうな館長は、しかも体調管理のためにこの時間食事をすることができない。申し訳ないとは思いつつ、そんな館長を尻目に、おなかをすかせた随行4人組はさっそく店内に入る。雨で外の席が使えないこともあり、店の中はお客さんでごった返している。壁と言わず天井と言わず、あらゆる場所に書き残された来訪者のメッセージを見上げながら、お茶だけの館長の前で名物のまぐろがたっぶり乗った丼をたいらげる。



名物の海鮮丼
名物の海鮮丼

リアス・アーク美術館では、まずはじめに佐藤光一館長にご挨拶する。もともとリアス・アーク美術館の設置や運営にも携わってこられた方だが、自治体職員として被災した人々の救援と気仙沼の復旧、復興の中軸を担ってこられ、昨年のリアス・アーク美術館の全面再開とともに館長として復帰されたそうだ。小高い山の上に建つ美術館の館長室。「いつもは海のほうまで見えるのですが」と館長が仰る窓の外は、雨に煙っている。この辺りは過去に繰り返し津波の被害を経験してきた地域だが、リアス式の複雑な海岸線によって、その被害の度合いは、入り江ごとに大きく異なる。明治時代の気仙沼は現在よりはるかに小さい区域であり、かつ比較的被害の少ない場所でもあったことで、気仙沼の津波被害は小さいという誤解を生んでしまった面もあるとのこと。「三陸大津波」という強烈な記憶が、仙台平野には津波は来ないという誤解を生んでしまったことにも通じる話かもしれない。



リアス・アーク美術館 館長 佐藤光一さん
リアス・アーク美術館 館長 佐藤光一さん

展示は開始以来、全国からたくさんの人々が訪れ、大きな反響を呼んでいる。美術館であると同時に地域の風土に根付いた文化を伝承する役割をも担う館として、震災を記録し後世に伝えることは当然の使命と考え、山内さんはじめ美術館の学芸スタッフは、救援や復旧の見通しすらない中で、あえて被害調査の活動を開始した。この展示ではその過程で撮影された記録写真、収集された「被災物(ガレキとは呼ばない)」が公開されているのだが、それだけでは、その圧倒的な物量は別としても、これまで行われてきた災害記録の展示と大きな違いはないかもしれない。注目すべきは、展示物につけられた説明文である。写真であれば撮影者の思いがつづられ、被災物であればそのひとつひとつに、山内さんが現地で聞き取った出来事や声をもとに構成した「物語」が付されている。教育機関でもある美術館や博物館は、とくにそれが公立であればなおのこと、学術的な正確さが求められる。しかしながらこの展示では、展示されているものはすべて事実であるにもかかわらず、その説明に主観や演出をあえて組み込むという、本来のミュージアムには許されない手法がとられているのだ。そしてなにより重要なのは、そのことでこの展覧会は、奥行きのある現実と、生きたメッセージを、見る人にダイレクトに伝えることに成功していることである。




常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」会場風景

それぞれが無言のまま、ひたすら展示を見た後、展示室を出て、山内さんのお話を聞いた。「美術館が芸術表現の場でもあることが、このような展示手法を可能にしている面もあって、歴史を扱う博物館の学芸員などからはうらやましがれていますよ」などと山内さんは冗談めかして言うが、展示の随所にある周到に計算された演出も含め、ここに至るリアス・アーク美術館の大変な作業と勇気に頭が下がる。「現場で見たものや事柄」を「正確に伝える」ということがどういうことか。震災後、人々のあいだに生じたさまざまな「ズレ」のなかで、山内さんたちはこの問題に向き合い、いかにして乗り越えることが可能かを考えながら、試行錯誤を続けてきたのだろう。この展示はその報告でもある。 山内さんにとっての「ズレ」が何だったのかという鷲田館長の問いに対し、山内さんは、まず何より被災地の現状と支援や取材に駆けつけてくれる人々とのズレに始まったと答えた。突然、生きる上での前提や背景をまるごと失い、着の身着のままで命を繋いでいる人々と、仕事や支援という背景を持って現地に訪れる人々のあいだには、目に見えない深い溝があった。さらにやっかいなのは、そこにはどこにも悪意はなく、何より被災地に来てくれることへのありがたさも感じるだけに、そこに生じるひりひりするような違和感は被災地側の人間にとってひときわ重かったと思う。ただ、その場では口にしなかったが、山内さんが見続けてきたズレはそれだけではない。山内さんは、震災前の2006年、明治三陸大津波の被害を紹介する展覧会を企画し津波への備えの大切さを訴えたことがある。しかしそのとき山内さんの思いは地元の人にすら十分に伝わらなかったという。だからこそ、今回は未来の人がきちんと理解できるように伝えたいという強い思いが、山内さんとリアス・アーク美術館の取り組みには貫かれていたといえるだろう。




リアス・アーク美術館 学芸係長 山内宏泰さん

震災を契機に、人々のあいだのズレがとりわけ顕著に意識されることが多くなったが、しかしそれは本来至るところにあるものだ。ひとりひとり異なる背景や経験の中で生きる以上、人々のあいだには本質的に大小のズレが生まれるのは当然だ。それぞれは単に違っているだけのことであって、そこに善悪や優劣の差があるわけでもない。しかし、被災経験の違いが生みだすズレは、単に経験の違いでしかないにもかかわらず、どこかで、より深刻な被災経験者の言葉が優先され、それに対する反論を封じる圧力が働く。経験者の言葉は重く、学ぶところが大きいのは言うまでもないが、それを無批判に受け入れるとしたら、それは、その経験の意味や質を逆にスポイルすることにつながる。「正しく伝える」ためには、まず人々のあいだに消しがたく存在するズレや、それが生み出すバイアスを正しく意識したうえで、それを超えるための言葉や表現を磨く必要がある。そしてそれは同時に、伝える側だけでなく、受け取る側にも、適切な判断力や想像力を磨くことが求められるということでもある。リアス・アーク美術館の展示は、見せる側の努力の集合体ではあるが、同時に私たち見る側の努力についての問いかけにもなっていると言えるかもしれない。

リアス15

帰りの車中、文化人類学者である西川さんは「伝えること」に対する山内さんの誠実さについて話した。それに呼応するように、鷲田館長は、表現としての記録に取り組む山内さんたちの活動の重要性とそれを支えることの必要性を指摘した。 「たいせつなことは、わからないけどこれが大事だと見定めることができること、そしてそのわからないものに、わからないまま正確に対応できるということです」※1 と鷲田館長が述べるように、私たちは複雑な現実を安易な解釈でかたづけてしまうのではなく、複雑なままに伝え、聞き取る力を身につける必要があるのだ。

予定をだいぶオーバーし、私たちの車が仙台に到着する頃はすっかり日が暮れ、降り続いていた雨は上がっていた。気仙沼で傘をさした館長だが、結局のところ仙台ではまださしていないということになる。はてさて鷲田館長・晴れ男論の行方はどうなるのだろう。

※今回お会いした人

○リアス・アーク美術館 館長 佐藤光一さん

○リアス・アーク美術館 学芸係長 山内宏泰さん

○甲南大学文学部社会学科 教授 西川麦子さん harukana show http://harukanashow.org/

※1 ミルフイユ06『わからないことにかかわれなくなってきた。』


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