報告 2019年12月11日更新

「まち・ひとスケープ」#17


【宮城野納豆製造所を訪ねて】

仙台市宮城野区銀杏町の ()宮城野納豆製造所はJR陸前原ノ町駅、仙台市宮城野文化センターに隣接して千坪余(≒3,500㎡)の広大な敷地内にあります。塀に囲まれているために閉鎖的でその建物の文化財的価値があまり知られておらず、宮城県文化財調査報告書第190集『宮城県の近代化遺産―宮城県近代化遺産総合調査報告書―』(平成17年(2005)発行:財団法人宮城県文化財保護協会 編集:東北歴史博物館)にも収められていません。

私、一級建築士安井妙子は、2015年に縁あって()宮城野納豆製造所敷地内の工場棟群を調査し、平面図を作成しました。自社の建築群の、文化財としての価値を認識した所有者である()宮城野納豆製造所3代目社長三浦晴美氏は、建築群を保存活用することを決めました。その後三浦氏は次々と屋根の葺き替えをはじめとする営繕工事を執り行い、学識者や私の勧めに従い、ほぼすべての敷地内建造物を国登録文化財に登録する意志を示しました。その結果1920年(大正))の創業以来99年目にして20193月に国登録有形文化財になりました。創業以来変わらぬやり方で、納豆と、納豆菌を製造していることも文化財としての大きな要素です。

『納豆製造法 附録納豆文献集』昭和十一年六月三十日増訂第三版発行の序には、編者半澤洵博士が次のように記しています。

「宮城野納豆製造業者三浦二郎氏は本書の出版に際して同氏経営納豆工場の写真を寄贈せらる、実に感謝に堪へず製造家の参考ともならば予の満足之に過ぎざる所なり。」

従って工場の建築時期は1935年(昭和10)ごろと思われ、建築後84年を数えます。

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このことを受けてまち・ひとスケープは、営繕工事にかかわった会員安井の発案をとり入れて所有者のお考えを中心としたインタビューと、建物に主眼を置いた記録を作成しようと企画しました。何故なら国登録文化財になったことで、多くのテレビや新聞で報道されましたが、そのほとんどが時間や誌面の制約もあって納豆に注目したものだったからです。

2019627日の取材から足掛け5か月。4回に渡る編集作業の結果ようやく出来上がりました。安井は会員になって日が浅く、静止画の編集をして書籍を出版するなどの経験はあったものの、動画を扱うのは初めての経験でした。1回に付き7時間ほどの連続した作業はかなりのハードな作業量でしたが、段々ばらばらだった画像が整理されて、資料として見るに耐えられそうになってくるにつけ、作業が気にならなくなってきました。それもこれも、リーダーの山本玲子さんや桐島レンジさんのおかげです。同じことを何回も質問したり、時々パソコンが固まったり、上書き保存を忘れたりとハラハラするような出来事を乗り越えて、1113日夜半にユーチューブにアップできた瞬間は達成感でいっぱいでした。次は何に挑戦しようか、楽しみが増えました。  

作成者:安井妙子

627日の取材から足掛け5か月。安井さん粘りに粘った作品。Youtubeupしました。

一足先に三澤一哉さんによるアートな紹介previewupされています。

作品の編集作業中心にメイキング映像をyoutube限定公開しました。

資料:『納豆製造法 附録納豆文献集』書誌事項

大正一五年三月十日創刊発行

昭和五年七月二十日増訂第二版発行

昭和十一年六月三十日増訂第三版発行

正 価 金弐圓伍拾銭

編 者 半澤 洵  

発行者 相澤元二郎

印刷者 澤井 兵三

発行所 札幌納豆容器改良会

札幌市南一条西三丁目八番地相澤商会内

 序

従来本邦に於て発表せられたる納豆の研究に関する文献は種々の雑誌等に掲載せられ之れが研究上支障少なからず、依て今回本書に之を蒐載することとせり、未だ其の全部を網羅するに至らずといえども研究者の資料ともならば幸甚なり。又宮城野納豆製造業者三浦二郎氏は本書の出版に際して同氏経営納豆工場の写真を寄贈せらる、実に感謝に堪へず製造家の参考ともならば予の満足之に過ぎざる所なり。

昭和十一年四月二十九日

札幌にて

編者識

1 資料部分はhttps://seesaawiki.jp/w/taiji141/d/ǼƦ%c0%bd¤ˡ%a1%a1%c2%c8%c7より引用

2 初代社長三浦二郎氏は旧姓永島

3 半澤洵博士は東北帝国大学名誉教授。1879年 北海道白石村にて誕生(現札幌市白石区)、祖父は宮城県白石の出身。


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