報告 2013年04月30日更新

第7回3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」レポート


【開催概要】
日時:2013 年 4 月 30 日(火)19:00-21:00
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
(参考:https://www.smt.jp/projects/teiten/2013/04/3-11--16.html


* * *





3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」は、昨年度6回実施し、そこで出た意見などをひとつの本にまとめました。これを見ると、改めて、非常に良いアイディアがこの場で生まれてきたと感じます。

第7回目となる今回は、今年度のスタート。会場には、震災直後と一年後の様子を比べた「定点観測」のポスター48枚を展示し、震災直後と今とを比べて、どう思うか、またはどうこの写真を活用できるか、ということを会場の皆さんと一緒に考え、自分の考えを話していただくきっかけになりました。

また第2部では、前回に引き続き、神戸「人と防災未来センター」より高森順子さんをお迎えし、阪神淡路大震災の定点観測について紹介していただきました。

3月11日、震度7を記録した栗原市。沿岸部に比べてその被害が語られることは少ないのですが、今回ゲストに来ていただいた方は、東京に多くいる友人に、この現地の状況を伝え、情報発信をしなければいけない、という思いから写真を撮られたそうです。

震災翌日、コンビニやスーパーからは商品が消えました。そして日数が経つうちに、それまで閉じていたお店が徐々に開店し、卵が買えたとか、牛乳が買えたとか、納豆が買えたとか、そういったレベルでありがたみを感じる、そんな生活が思い起こされます。こういった光景は、みなさんの心にも強く印象に残っているのではないでしょうか。

今回の公開サロンは、この写真のように、生活に密着した写真、震災の中での生活ぶりがわかる写真を選んでいます。

次のゲストの方は、震災時、島根での会議中に第一報を聞き、交通機関が全てストップしたため、一週間東京での生活を余儀なくされたそうです。19日に羽田空港から山形空港、山形空港から高速バスで一般道を通って、夜11時半頃に仙台駅に着いたときの写真です。

山形から、仙台市内に入り西道路と、ほとんど車のライトしか電気がないところを通ってきて、西道路を上がって立町を過ぎて、国分町が真っ暗だったのがとてもショックだったとのこと。そこで自分が、震災のあった仙台に戻ってきたのだな、と実感されたそうです。この時仙台駅の工事はもう始まっていて、土曜日の夜、真っ暗な仙台で唯一、この仙台駅のネオンが煌煌と光っていたというのを鮮明に覚えているとのこと。

この写真はパッと見ると普通の日常に見えるのに、内容を知ると実は普通ではない、ということがよくわかる写真です。

次のゲストの方は、石巻からお越しいただきました。自宅は津波被害に合い、仙台、富谷、塩竈、親戚のうちを転々としながらの避難生活を経て、8月中旬に仮設住宅が当たり1年間入居、全壊した自宅を直す決意をして、今は自宅を修繕し家族で暮らしています。

津波警報も聞こえない、電気もないから何も情報がないという状況の中、15時15分頃、黒いペンキをざばーっと流したような津波が目に入り、数える間もなく、庭に停めてあった車2台が流されていき、それを見た瞬間子ども2人を連れ2階に駆け上がり、難を逃れました。その後、16時5分くらいに水が一旦引いた時に撮影したものです。こんな写真を何で撮ったかな、と考えると、理由はひとつ。留守中のご主人に知らせるが為に撮ったそうです。普段ご主人は仕事柄外出が多く、子供の行事や成長の姿をなかなか直接見ることが少ないため、写真に撮り、帰ってきたら知らせるという習慣が普段からあったそうで、この時もその習慣から、何の怖さもなく、よし証拠を残さなきゃ、ということでこの1枚を撮影した。と話してくださいました。

次の写真も、当時の生活を思い出される方が多いのではないでしょうか。ガソリン給油ができず、移動もままならなかった頃の写真です。

この写真を撮られたゲストの方は、ガソリン給油のためガソリンスタンドに毎日早朝に並んでいたそうです。ここで給油が確実らしいという噂をtwitterで調べ、朝の3時から、寒いため毛布を持ってエンジンを切り、みんなで、今日は来ますかね、とか話をしながら待っているのに、8時くらいになると今日はやりませんという看板が出たり。半日かけて並び、あと10台で自分の番となったときに、給油優先だった緊急車両が20台も30台も入って一般車両終わり、というような空振りを、10日間ぐらいずっと続けていた頃。ようやく段々買えるようになり始めていると聞き、今日こそは!と並んだ時、初めて給油整理券が手に入り、すごく嬉しくて撮ったという1枚です。何回も何回も並んでは空振りをして、この日初めてガソリンを手に入れたそうです。

これらのゲストの方が撮られた写真は、私たち被災地で暮らした方であれば共感する部分が多い写真だと思います。しかし、被災地以外の方にとっては、全く実感の湧かない、伝わらないと言われるものになっているのも事実です。だからこそ、東日本大震災を非体験者にどう伝えるか、遠く離れた地に暮らす方、またこれから産まれてくる子供たちにどう残していくか、を考えなければいけないと思っています。

私たちが昨年度取り組んできた、震災アーカイブ資料の「定点観測」ですが、それは震災アーカイブという全体の中ではごく一部ではありますが、そのひとつの方法として、写真を使って定点観測をするという活動をしてきましたが、18年前の阪神・淡路大震災。その時に、私たちと同じく定点観測をされていた方がいらっしゃいました。そのお話を、神戸「人と防災未来センター」の高森順子さんに伺いました。

高森さんは震災以来当NPOと関わりを持つ中で、阪神・淡路大震災では、市民が撮った「定点観測」としてまとまったものがないと思っていたそうです。それが偶然にもつい1カ月前に、実は定点観測をしていた市民の方がいらっしゃった、ということを知り、すごく驚かれたとのこと。その方は震災当時72歳、震災の前年に旦那さんを亡くされている方で、その旦那さんの趣味がカメラだったそうです。30何年ずっと夫婦で神戸で生活をされていて、その中で震災が起こり、家も全壊してしまった。そんな中で、自分の街がなくなっていく様子というのを、ご自身の足で回られて、震災直後の写真を撮り、そして5年後に全く同じ場所で写真を撮っていました。この本の醍醐味は、住宅地の本当に小さなところまで撮っているというところにあります。これらを全部、ご自身の自費で1000部、本として出版されていたのです。高森さん自身はずっと震災のことに携わってきたにも関わらず、全く耳に入らなかったということで、今回、もう一度検証したい、再評価した、という気持ちになったそうです。

この写真たちは、紆余曲折があり、高森さんたちの尽力で、これらの写真をより多くの方に見ていただくことが出来るようになりました。しかし、18年経つと、これらをご本人は使って欲しいと思っていても、使えなくなるかもしれない。これらは、後世に残していくという作業を進めている私たちにとって、とても参考になるお話でした。

報告:NPO法人20世紀アーカイブ仙台





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=2846#report


x facebook Youtube