報告 2013年10月05日更新

第12回3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」レポート


【開催概要】
日時:2013 年 10 月 5 日(土)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
(参考:https://www.smt.jp/projects/teiten/2013/10/post-47.html


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第12回目の公開サロンは3名のゲストをお招きしました。いつもの通り、それぞれが撮られた写真についてご説明いただき、写真を撮った状況などをお聞きしました。
「日常が完全に奪われていることを強く感じ、外に向けて発信するというよりも、伝えないといけないと思った」という撮影のきっかけを語るゲストのおひとり。また、「罹災証明書を持っていると支援を受けられる、という情報を聞き、被災した証拠としてアパートの写真を撮った」というゲストの方も。写真を撮った理由としては、今までもSNSで情報を発信するため、という方が多かったのですが、SNSから情報を得た方も多かったようです。ラジオで広く被害状況などを確認し、例えば買い物や水の供給など身の回りのことについてはツイッターやフェイスブックではよりパーソナルな情報を得、自らも発信する、という方も多かったようです。
また、「原子力発電所の爆発の影響で病院の先生が...」というような、SNS情報に関しては、デマが多いので鵜呑みにせず、日頃から確かな情報を仕分ける目を持つというお話もありました。
愛媛県からお越しいただいたコミュニティFM局のパーソナリティの方からは、「ニュースは漠然とした感じで実感が伴わないものが多いけれども、話を聞いて実感に近い感覚が得られた」という感想をいただきました。また、お仕事柄、「ラジオでどういう情報が役に立ったのか」というご質問をいただき、「アニメの主題歌を流し、避難所の中で子どもたちが楽しく音楽が聴けるようなプログラムを作ってくれたこと」や「『あなたはひとりではありません』という、CM前のメッセージに、視聴者以上の一体感を感じた」など、参加者ひとりひとりの感想を述べ合いました。

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また、震災非体験者に震災の備えを全国に知ってもらうための活動についての話にもなりました。
災害の様子を伝えるのはマスメディアの大きな役割です。ただ、クローズアップのされ方ひとつで、ニュース映像の中にも起承転結があり、中には、意図的にお涙頂戴的な伝え方をしている、と感じてしまうことがあるのも事実です。結果、今回の地震は三陸だからあのような津波になってしまった、という結論にすり替えられてしまうおそれも出てきます。地震・津波は、決して三陸が特別だったということではなく、日本全国どこでも起こりえるんだと、起こった時にはこんな状況になるんだということをきちんと伝えることで、非被災地の方にもよりイメージしてもらいやすくなると思います。
私たちは津波や地震のひどい映像ではなく、そこで人々はどんな生活をしていたのか、「伝」えるは「人」が「云」うということ。私たちの体験や体験を聞いた方が例え又聞きだとしても、非日常となった生活ぶりを言い続けることが大きなメッセージになり、この公開サロンもその役割の一端を担っていると考えています。
南三陸町には、山の方なのにも関わらず「水」に関する地名が残っています。「三人立」という山の名前の由来は、かつてこの山にまで津波が来て、逃げ切った人は三人だけだったというところや、「水境峠」、「船河原」など、山の中であるのに、水の境や船という名前が残されています。先人たちはその津波を、地名で残し伝えようとしたのではないでしょうか。
このように先人たちは、絵や、地名や、石碑などで残し伝えてきました。では、私達は後世に何で残すのか。定点観測の写真、体験談を聞いてオーラル・ヒストリーとして残す、この公開サロンのような語りの場で残す...インターネットにしてもたくさんツールがある中で、何を使ってどう残すか、これからはこういったことを考えていく時期に入っているのかもしれません。「風化はするけれども、劣化はさせない」そんな記録の残し方を考え続けていかなければ、と思っています。

報告:NPO法人20世紀アーカイブ仙台





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=6738#report


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