報告 2013年12月23日更新

第13回3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」レポート


【開催概要】
日時:2013 年 12 月 23 日(月・祝)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200
(参考:https://www.smt.jp/projects/teiten/2013/12/3-11--5.html


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写真1

元々写真を撮ることが好きだったというゲストのおひとりは、仕事の関係上、震災前は東北のあちこちを写真に収めていたのですが、3.11からしばらくの間は写真が撮れなかったそうです。しかし、街の復興像に地域の人の営みを元にした議論があまりに少なく、復興の先行きに違和感を持ち、震災前と震災後の定点撮影を行うようになったということでした。その街にとっての本当の復興とは何なのか、震災の前に遡ってこそ価値が明らかになってくるのではないか。とお話いただきました。
また、震災前は沿岸部に足を運んだことがなかった、というもうおひとりのゲストの方。実際に被災地を訪れることで、災害危険区域で人が住めなくなる意味を考える一方、かつての暮らしの姿を知らないということに矛盾を感じ始めたと言います。例え知らない土地でも、住んでいた方の声を聞いて、自分の体験を重ねてあわせていくことはできると思う、とお話いただきました。
写真と文字、カタチは違っても、もともとその地域にあった生活の営みを表現している、という共通点があり、興味深いお話でした。
アーカイブの利活用については、写真や言葉はあくまでゲートであり、ヒアリングや現地を訪ねるなどの活動と組み合わさることで、暮らしの全体像を見ることができるのではないかという意見もありました。

写真2

昭和時代の地域の写真が人々の思い出を引き出し、その話題は個人の思い出ではなく、集まっている人の共通の話題として膨れ上がっていきます。その様子を見ていると、土地と人の記憶は、アーカイブ素材にリンクされていて、地域に住んでいた人たちの想い、写真を撮った人の個人的な思い出も含めて記録されていることに気付かされます。震災・地域アーカイブの一番の意義がここにあるのではないでしょうか。そして、地域アーカイブは震災アーカイブを内包することになるでしょう。
この震災アーカイブ、3.11関連の写真はいずれ公共財になるでしょう。しかし、現状ではここに大きな課題があり、「集められた素材」イコール「震災アーカイブ」で、そのまますぐに使えるわけではありません。例えば100年後の人たちに撮影日時や場所程度の単純なキーワードだけで3.11が本当に伝わるかどうか疑問です。ていねいなキーワード付けをやっていかないと、将来使えないアーカイブになってしまうおそれがあるからです。それができるのは、写真提供者が記憶している今しかなく、本腰を入れた編集業務が今後の大きな課題となっています。

写真3 写真4

この考えるテーブルは、約2年間活動してきました。この効果は3つあったと考えます。 ひとつは、画像提供者に発表してもらうこと。自分の撮った写真を発表してもらうことで、写真の意味や当時の背景を聞くことができる、それをアーカイブすることができるという意義。
ふたつ目が、みんなで聞くこと。写真提供者から一対一で聞くのではなくて、みんなで聞く。みんなで聞くことで、震災体験者も非体験者も想いをこの場で共有できたのではないかと思っています。
みっつ目は、私の場合はこう思ったという第三者の意見、発言。それによって私達も、なるほど、同じ写真を見ていても別の体験を連想する人がいるんだな、と気付くことになりました。
この3点の効果をきっかけに、私たちは「3.11のための拠点づくりの必要性」を、強く感じることとなりました。いつでも自分の撮った写真の解説ができる、写真を集めることができる、定期的にみんなで集まれる、そういった場こそが、3.11を風化させない一番重要なポイントになるでしょう。語る、観る、聞く、の常設室があり、そこに編集機能や他団体とのネットワーク機能も持たせた拠点づくり。東日本大震災から3年目を迎える2014年。常設の「拠点づくり」と市民活動の一環となる「編集強化」が、風化を防ぐポイントとなってくるのかもしれません。

写真5

報告:NPO法人20世紀アーカイブ仙台





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=5235#report


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