イベント 2012年07月01日更新

第12回「震災と教育」


■ 日時:2012 年 7 月 17 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ ゲスト・ファシリテーター:寺田俊郎(カフェフィロ会員/上智大学教員)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい

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震災と教育

2012年1月26日付のある新聞記事(共同通信社)が、防災対策庁舎から町民に無線で避難を呼び掛け続けて津波の犠牲になった南三陸町職員の行動を、埼玉県教育局が県内の公立小中学校およそ1250校で使用される道徳教材に「天使の声」として掲載する予定であると伝えていました。実際に犠牲になられた町職員の行動それ自体は称賛されるべきものなのかもしれません。しかしながら、それが「道徳」もしくは「美徳」といった切り口で学校教育の現場で子どもたちに伝えられることに対しては多くの方が〈違和感〉を感じられるのではないでしょうか。この〈違和感〉は、はたしてどこから来るものなのでしょうか。
震災後一年以上が経過した今、教育の現場ではさまざまな問題が見受けられるように思われます。
文部科学省が小中高校それぞれに対応して新たに作成した「放射能に関する副読本」についても、「放射能は身近にあるもの」などといった文言が掲載されるなど、「内部被ばくの危険性そのものを過少評価」する内容であることが指摘されています。そこには、今回の原発事故の問題をあらためて問い直し、またそれを子どもたちにも乗り越えるべき重大な〈問い〉もしくは〈課題〉として引き継いでいかせようとする教育的な配慮は微塵も見当たりません。
わたしたちは、子どもたちに今回の震災という〈出来事〉をどのように教えるべきなのでしょうか。被害の状況を端的な〈数値〉として偽りなく伝えるだけでよいのでしょうか。あるいはまた、避難時に困難な状況に立ち向かった人たちの使命感や責任感を「道徳」といった切り口から理解させるべきなのでしょうか。教育の問題はいわゆる「学校教育」だけの問題ではありません。地域での子どもたちへの教育、家庭での教育など、幅広い切り口から、さまざまな立ち位置の方々を巻き込んで考えるべきものです。震災後一年以上が経過した今、一度、そもそも今回の震災を子どもたちにどのように教えるべきなのかといった問題をみなさんとともに考えてみたいと思います。そういった問いのなかから、「教育」というものがもともと抱え込まざるを得ない問題性や、「教育」が健全に機能している状態とはそもそもどのような状態なのかといった遡行的な問いかけについても、みなさんとともにじっくりと対話を重ねてみたいと思います。みなさま、どうぞご参加ください。

(てつがくカフェ@せんだい 西村高宏)
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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=3692
*イベントのレポートはこちら 
https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2012/07/12.html


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