イベント 2013年01月27日更新

第18回 「『分断線』(高橋源一郎)から〈震災以降〉を問う」


■ 日時:2013 年 1 月 27 日(日)13:00−15:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい

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「分断線」(高橋源一郎)から〈震災以降〉を問う
「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。 そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。(※)
『「あの日」から僕が考えている「正しさ」について』(2012年、河出書房新社)の著者・高橋源一郎氏は震災以降、多くの人々が抱いてきたであろう意識の違和感を「分断線」という言葉で表現しました。たしかに、私たちが人と語り合ったり、行動を起こしたりするときには、目に見えない境目や溝、線が横たわっていることがあります。高橋氏は、震災を契機に「反・脱原発」と賛成派との間だったり、東北の復興・復旧に重点を置く人と、日本全体の問題に重きを置く人との間だったり、今すべきこと・してほしいことが異なる人との間だったり、さまざまな「分断線」が引かれ、増殖していると述べています。
さらにもう一つ、誰と誰の間に「分断線」があるのでしょうか。政治家と市民、テレビの向こう側の人とこちら側の人、あの町の人とこの町の人、いやむしろ今隣にいる家族・友人・地域の人々との間にも、巨大あるいは些細な分断線が引かれているのかもしれません。
そして、この線の存在に気付くとき、私たちの心は苛立ち・腹立たしさ・違和感・悲しみを伴い、意見の異なる人々を「敵」と見なすことさえあります。「どうしてわからないんだ」「なぜ今それをするんだ」「こちらが先だ」などの声とともに。しかし、「分断線」の向こう側の人たちは、本当に敵であり、分かり合えない相手なのでしょうか。「あの日」以前には、いくつもの共通点を持った人たちもいたはずではないでしょうか。
今回の「てつがくカフェ」では、「あの日」からどのような「分断線」が、誰と誰の間に引かれ、どのような感情を引き起こしてきたのかを語り合いつつ、なぜ「分断線」は引かれるのか、という根っこの部分を掘り下げていきたいと思います。 私たちは「分断線」を乗り越えること、消すことができるのでしょうか?
(てつがくカフェ@せんだい 房内)

ぼくたちはばらばらだ。ばらばらにされてしまった。放っておくなら、もっとばら ばらになるだろう。ぼくはごめんだ。やつらが引いた分断線なんか知るか。ぼく たちが自分で書いた分断線は、ぼくたちが自分で消すしかないんだ。(※)

※引用はすべて高橋源一郎氏のtwitter(2011年10月17日)より

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=2146
*イベントのレポートはこちら https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2013/01/18.html


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