報告 2014年02月16日更新

第29回てつがくカフェ「震災とセクシュアリティ3」レポート


【開催概要】
日時:2014 年 2 月 16 日(日)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
ファシリテーター:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2014/02/29-3.html


* * *





写真1

〈はじめに〉
2月16日に「震災とセクシュアリティ(*1)」と題した対話の第3回目を行いました。今回は、12月に行われた2回目の対話で出た問いにさらに磨きをかけ、その問いに対する答えをみなさんで考えていく予定でした。この日はまだ道に多くの雪が残っていたにもかかわらず、1回目からの常連さんもいらっしゃれば、初めてきてくださった方も多く見受けられました。セクシュアリティ自体が大変難しいテーマで、しかも当事者(セクシュアルマイノリティ(*2))の方とそうでない方が一緒になって話をする機会は珍しいものですが、多くの方に集まっていただいたことで仙台に対話の場が求められていることを感じました。
シリーズ化した対話ということで、初参加の方とそうでない方の間で溝ができないよう、前回出た問いを黒板に書いておき、また、冒頭で前回のレポート(http://table.smt.jp/?p=5231#report)に目を通す時間を設けました。対話の前に静寂の時間をとることで、今一度自分が考えていることを整理していただくこともねらいでした。さらに、セクシュアリティという語が包括する主な4つの要素①恋愛②社会的役割③生物学的④性自認と、それぞれの要素における震災時の困難の例を書き記し、参加者の想像の補助になるようにしました。

写真2

〈前回の問いを練り直す〉
対話ははじめ、前回参加して下さった方が「多目的トイレを使うことがなぜカミングアウトになるのか」という質問を投げかけました。これは、ご自身が前回の対話で納得いかなかった点を指摘していただいたもので、このように積み残しを再度問いかけて下さるのは大事なことです。その答えとして、「多目的あるいはユニバーサルトイレという名称ならよいが、もし男・女どちらでもない人用のトイレを設置しても、それを利用することで自分の性をカミングアウトすることになってしまう」と別の参加者から説明がありました。
また、付け足しとして、「最近は"みんなのトイレ"と呼ばれることもある。しかしこれも、車いすに乗っている人など目に見える障害のある方が使うという思い込みもある。実際にはセクシュアルマイノリティだけでなくオストメイト(がんや事故などにより人工肛門・人工膀胱を保有する人)など、傍から見たら普通だけど事情があってその設備を必要とする人たちの中でとくにトランスジェンダー(*3)の人たちは、なぜみんなのトイレを使うかを説明する時に、自分の悩みや話したくないことまで触れざるを得ないので、(避難所などでは)その説明をするくらいならトイレを使うのをやめようと考えてしまい、問題が生じているのではないか」とありました。
トイレのような施設の事例から、当たり前のように男性用あるいは女性用のトイレに入る人=問われない人と、その施設を使うたびに自分の性的問題が白日のもとにさらされてしまうのではないかという恐怖を抱いている人=問われる人が生じてしまうことを考えたらよいのではないか、という意見がありました。
また、前回の問い「"みんなの避難所" と言った時の"みんな"とは?」という話題に関連して、性に関する問題の例はとても多様だから、みんなの避難所を考えるには一つひとつの例を語り、想像していくしかないのではないかと意見がありました。
これに対して別の参加者からは、想像することには限界があるという前提で、問われる人=マイノリティの人を問題にすることよりも、問われない人=マジョリティが、なぜ今まで問われないで済んできたのかを考える方がポイントではないかと発言がありました。この方は、前回までの対話に参加する中でそう考えるようになったそうです。ここで言う「問う」という言葉は「思い悩む」なのか「問題とする」どちらの意味なのかという質問に対して、自分で問うあるいは考えるということよりも「問われる」という状況が問題だと答えが返ってきました。というのも、震災によってこの差がより露呈したからではないかとも発言されました。

写真3

写真4

〈新たに生まれてきた問い〉
様々な話題が出てきたので、ここまで話してきたことをもとに新たに問いを表現し直していくことにしました。するとまず「多数派と少数派に分けて問題を解決するほうがよいのか?」と提示されました。また、今までの流れから「なぜ自分の性について問われる人と問われない人がいるのか?」も導き出されました。さらに、これも前回出た問い「セクシュアリティにとって自然とは?/規範とは?」に関連して、"それって自然だよね"というふうに自然と規範を一緒に考えている人がマジョリティではないか、そして押しつけられている規範だなと感じる人がマイノリティではないかと述べた方は、「セクシュアリティにおいて自然と規範の差異が生じるのはなぜか」と問いを立てました。他に「なぜ震災を契機にこれを考える必要があるのか?」という問いも出ました。なぜなら震災時でなくても普段から窮屈な思いをしている人がいたからです。「なぜ/誰が/どのような、性に関する規範をつくろうとするのか」と問いが出て、後に「規範」という言葉に関心が向かっていきました。
また、「規範」などの抽象的な言葉が出てきたところで、対話を震災に立ち戻りながら進めていくか、もっと抽象的に捉えていくのかファシリテーターから投げかけました。すると、性同一性障害を持つ方がたとえば震災時に生理用ナプキンの入手で困ったことを挙げる方がいたり、避難所での扱いなどマイノリティもマジョリティもお互いにどうしてほしいのかを考えていけばよいの ではないかと発言した方がいたりしました。そして、震災を契機にとてもきつい形で問題は生じたが、それは何とかやり過ごしてきた平時と根本は同じだと発言があり、震災時と平時からの問題は切り離せないことが浮き彫りになってきました。また、問題はマイノリティそのものというより、マジョリティとの関係においてあると考えを述べる方もいました。

〈性についての規範とは?〉
多数派/少数派に分かれてしまうこと、なぜ規範をつくろうとするのかなどに対話における疑問が集まってきたところで、規範とはそもそもどういうものか整理することにしました。まず、大抵の人にとって規範とは無意識に乗っかっているもの、エコロジカルに過ごしていくためのもの、個々の考えの中にあるのに、それが「みんなもそうでしょう?」と思ってしまうから問題が生じるもの、正しいこととイメージするもの、都合のよい出来事に持っていくための道具、法律もその一つで過去だけでなく現在もあるもの、経済合理性に基づく秩序を作るためのものなどと列挙されていきました。
最後には、個人が尊重されるのが規範であるはずなのに、自然を阻害する規範が生じてきているという発言や、「自然科学」を指す時の自然と、「それって自然だよね」という時のものは違うのにごっちゃにしている人はいないか、など自然と規範の関係について言及があったりしました。

〈まとめ・ファシリテーターとしての所感〉
今回の対話でも、参加者の皆様はいらだちや話のかみ合わなさを感じる場面が多々あったかと思います。しかしその中でも「多数派/少数派に分かれること」「性に関する規範がなぜあるのか」といった、自分たちが今まで無意識に乗っかっていた性にまつわる枠に対して意識が変わり始めたのを感じました。これは、大きな対話の成果だと思います。じりじりと話しながら少しずつ、この場が見つけてきたものが確実にあると思いました。今後は、5月4日に1階オープンスクエアにて同テーマ4回目の開催が決定していますので、「みんな」が納得できる新たな性の考えを探していきたいと考えています。

写真5-1写真5-2

写真5-3写真5-4

写真5-5写真5-6

* 1セクシュアリティ...人の性の包括的なありよう。身体の性、ジェンダー、性自認、性的指向等の要素がある。
* 2セクシュアルマイノリティ...性的なありようが多数派でないとされる人たちのこと。同性愛者・トランスジェンダーなどが有名だが、ほかにもいろいろな人がいる。略して「セクマイ」とも。
* 3トランスジェンダー...身体の性別とは異なる性を生きることを望む人。 いわゆる「性同一性障害(GID)」、FtM、MtF、FtX、MtXなどが含まれる。手術やホルモン剤で身体の性別を変えたい人もいれば、そこまで望まない人もいる。

(参考:レインボーアーカイブ東北 用語解説 http://recorder311.smt.jp/information/33307/

報告:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)
---------------------------------------------------------------------------------------------
◎ カウンタートーク

カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。


http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=5910#report


x facebook Youtube