報告 2015年03月29日更新

第43回てつがくカフェ「震災と音楽」レポート


【開催概要】
日時:2015 年 3 月 29 日(日)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
ファシリテーター:辻 明典(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2015/03/42--3.html


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震災以降の経験から、音楽について語るべきことがまだまだある。やっと、わたしたちと音楽の関係性について考えはじめることができた。今回のてつがくカフェは、そのような〈思い〉が言葉の端々から感じられる、そんな2時間でした。

前半は、「震災と音楽」にまつわるお話を、参加された方々に語っていただきました。そして、一つひとつのエピソードにひそんでいる言葉を拾い上げ、その意味を少しずつ掘り下げていきました。

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ある方は、「避難所の中には、人と人とを隔てる、見えない壁のようなものがあった。ある避難所で音楽を奏でたとき、見えない壁を越えて、みんなが音楽にのってきた」と語りました。音楽は、人と人との隔たりを壊すための〈道具〉になりうるという考えです。また、ある方は、「震災後、音楽を聴いて涙したことがあった。音楽は、自分の感情を解放してくれるものではないか」と、静かに語りました。人間の存在そのものに直接訴えかけてくるもの、そして、わたしたちを直接にゆさぶるもの、それが音楽なのかもしれない、と。

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こんな発言も印象的でした。
「震災直後のころ、音楽を奏でることは不謹慎ではないか、という思いがあった」
もしかしたら、音楽は本質的によいものだ、という前提がわたしたちにあるかもしれないけれど、よい部分ばかりとは言い切れないのではないか、という考えです。はっとさせられる発言でした。今回、このような視点に立った発言はあまりありませんでしたが、わたしたちと音楽の関係性を考える上で、非常に重要な意見であったと思われます。

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後半は、それまでに語られた言葉をもとにキーワードを挙げ、「問い」を練り上げていく時間です。ここでは以下の問いがつくられました。

・音楽は、衣食住より上か下か?
・音楽には(極限状態のときに出てくる)、我々には認識できない力があるのではないか?
・生きるために音楽は必要か?(ここでいう「生きる」とは、どういう状態を指すのか?)

今回の対話は、まだまだ問うていく可能性を感じられるものでした。あらためて、「震災と音楽」にまつわる経験、考えについて言葉を交わし、わたしたちと音楽の関係性について、みなさんと〈ともに〉考えていきたいと思っています。

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報告:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=11530#report


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