報告 2016年12月10日更新

てつがくカフェ第55回「展覧会『まっぷたつの風景』から『割り切れなさ』を問う」レポート


【開催概要】
日時:2016 年 12 月 10 日(土)14:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2016/12/55.html


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今回の「てつがくカフェ」も、「畠山直哉 写真展 まっぷたつの風景」の関連イベントとしてひらきました。テーマは「『割り切れなさ』を問う」です。

『単純な物言い』の権化は、呪われるがいい。
(『陸前高田2011−2014』、河出書房新社、2015、154頁)

これは畠山直哉さんの写真集のあとがきに書き付けられた言葉ですが、今回のてつがくカフェでも、物事に白黒をつけたり、二分化させたりすることで、難しいことをわかりやすくしすぎることへの戸惑いや、躊躇が語られていたような気がします。

どうやら、出来事の「捉え方」には幅があるようです。前半では、「理解はできるけれど、納得はできない」「頭ではわかっているのだけれど、どうも腑に落ちない」といった出来事について語られました。

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ここで語られた「割り切れなさ」というものは、喩えるならば、切れ味の鈍い刃物のようなものでしょうか。その言葉には、ただ単に「納得ができない」と言い放つようなものではなくて、何か鉛のような重苦しさを引きずっているかのような、そんな意味が込められていたのかもしれません。

特に、言葉が交わされたのは、やはり東日本大震災にまつわる経験について抱いている「割り切れなさ」についてです。

例えば、このような。

見えていたはずのものが、次第に見えにくくなっていくような経験。地震や津波の跡を訪れてから、かつては、開かれていたはずの眺望が、時の流れとともに閉じはじめていく。復興とともに、町の景色は早々と変わっていく。記憶のなかにかすかに残っていたはずの町並みは、まったく別の姿へと変化しはじめており、かつての自分が慣れ親しんでいたはずの景色を思い出すことすら難しくなってきている。

速すぎる復興。ある親しい人は、町が作り替えられていく様を、嬉々とした表情で語りだしている。その親しい人を前にして、私はといえば、景色の急速な変化への戸惑いを禁じえない本心を、容易には打ち明けられずにいる。そんな自分に気付いたとき、私は「割り切れなさ」のような〈何か〉を感じる。言うなれば、〈隔たり〉のなかに「割り切れなさ」が生じている...。

どうも「割り切れなさ」というのは、たやすくは捉え難い言葉のようです。
捉え難いながらも、後半は以下のキーワードをあげつつ、この言葉について考えていきました。

キーワード
○自分・他者
○でたらめ
○公私
○感情
○貧富
○自己同一性
○自発的な意志
○自然
○意志決定
○生きる
○割り切らないこと
○割り切ること


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そしてさらに、あげられたキーワードの意味を吟味しつつ、キーワードをもとにして「割り切れなさ」をどのようなものとして捉えるのかを考えていきます。ここは、意味をしっかりとつかまえて、言葉が生まれはじめるのをじりじりと待つかのような、粘り強さが求められる時間でした。

「割り切れなさ」というのは、頭ではわかるけれども、心では理解できない、そして、感情がついていけない、そのような感覚であると、ある方は語りました。生まれ育った町が、津波によって飲み込まれていく様を、ただただ呆然と立ち尽くしながら眺めていたという経験が、「割り切れなさ」を生み出したのかもしれない、と。そしてそれはあたかも、日常のなかにあるささやかな出来事の意味さえも、問いに附してしまうような経験だったのかもしれません、と。


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最後は、このようなやり取りを受けて、「割り切れなさ」の定義を、対話をしながら考えます。

「割り切れなさ」とは・・・

"ただ"生きていれば"よい"から、どのように生きるか?という疑問が生じたときにうまれてくるものである。

これは、あの時間、あの場所に集まった方々と一緒に、じっくりと言葉を交わしあうことによって考えられた、どの本にも載っていない定義です。

次回の「てつがくカフェ」では、「畠山直哉写真展 まっぷたつの風景」から、〈未来〉でも、〈将来〉でもなく、〈明日〉について考えます。


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報告:辻 明典(てつがくカフェ@せんだい)




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13276#report


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