報告 2016年11月19日更新

第54回てつがくカフェ「映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』から考える」レポート


【開催概要】
日時:2016 年 11 月 19 日(土)14:45-17:15
会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2016/11/54.html


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今回のテーマは、シネマてつがくカフェ「『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』から考える」です。畠山容平監督によるドキュメンタリー映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」を鑑賞した後、参加者の方とともに対話を始めました。

まず、「非当事者の引け目」をめぐる意見が交わされました。直接に被災しなかったことで、震災を自分のこととして引き受けられず、引け目を感じて居心地が悪いという内容です。畠山氏も同じ立場にあり、この感触を「宙ぶらりん」と表現しています。これについて、「被災経験の有無という違いはあっても、人と何かをともにすることで、同じモノを持つことができる。例えば写真を見ることもそのひとつの例であり、写真を通して同じ心の方角を向くことができる」という意見がありました。それから、「母親の死」「被災した故郷に居合わせなかった」という側面をもつ畠山氏の心の根っこにせまり、何をもって当事者になるのかと、当事者性について対話が深められる場面もありました。


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次に、畠山氏の「写真」をめぐる対話では、「震災をきっかけに、かつてのように(彼の写真を)見られなくなった」、「被災地の写真を見て美しいと思うのは不謹慎と思ってしまった」などの意見が挙がり、出来事によって、写真の見え方が変わることについての話題が出てきました。

ほかにも、畠山氏は写真一枚一枚を生み出す作業に手間をかけており、私たちは写真からその時間を、畠山氏がつくり出すイメージと私たちが出会うまでのすき間を想像することができるという考えや、写真そのものの中に畠山氏の視線の持続性があるという考えが挙がりました。震災という状況に臨むうえでは、写真を通して物事を表現するという営みにも、自身の心持ちを確認していくにも「時間がかかる」との内容です。

また、畠山氏はこの震災の発災後から現在まで、ほぼ毎月故郷へ戻り、撮影をしています。それは、「人が生きる」ことと「写真」の時間的変化のめぐりを考えさせてくれます。


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後半は、「時間」に照準を絞り、対話を深めていきました。
参加者の方からは、「時間そのものを問うのではなく、出来事に寄り添い、ともに居合わせることや手間ひまをかけること、あるいは構えといった、『当事者性』にかかわる営みから『時間』を考えることができる」という意見や、「『被災地に手を加える』という営みは時間も手間もかかるが、手を加えたときに自分の心的変化が見られるのではないか」という意見がありました。また、ある参加者の方は、ご自身の被災経験についても触れながら、「自分の中の穴が、どんどん大きくなっている。時間が経過するということが、自分にとってどんな意味を持つのかわからない。『明日』と聞いても、きっと明日もこうだろうという感じで毎日生きていて、自分のために、生活のために、どのように時間を使ったらいいのかわからない」という思いを話してくださいました。畠山氏も、「未来」や「時間」については、今までの言葉では対応できないといったことを表現しています。

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そして、対話の中から以下のキーワードを挙げていきました。

・手間をかける/かかる (言い方を変えれば、出来事をなぞり続ける)

・過去 現在 未来 (心の方角を指す)

・表現者 (そもそもなぜ畠山氏はシャッターを押すのか)

・風景・ヒト (風景とヒトとの関係性)

最後に、「時間」についての定義づけの幹の部分を考えます。
ここでは、次のような言葉が導き出されました。

「時間とは、人間の営みと状況の関係性である」

この後は銘々に考えを巡らせていただきたいと思います。
ご参加いただきまして、ありがとうございました。


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報告:木村涼子(てつがくカフェ@せんだい)




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13257#report


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