報告 2016年12月25日更新

第56回てつがくカフェ「展覧会『まっぷたつの風景』から『明日』を問う」レポート


【開催概要】
日時:2016 年 12 月 25 日(日)14:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2016/12/56-1.html


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今回は、「畠山直哉 写真展 まっぷたつの風景」の関連イベントとして開催してきた全3回のシリーズの最終回でした。テーマは「『明日』を問う」です。

はじめに、ファシリテーターが今回のテーマに寄せた文章(≪今回の問いかけ≫参照)を読み上げました。文章の中には畠山さんの写真集『陸前高田2011-2014』のあとがきの一部が引用されています。畠山さんの作品や文章に表されている『明日』の意味に、私たちはどんなふうに臨み、どんなふうに応答しようかと、いつもとは少し違った対話の時間を過ごしました。



途中で、対話の柱となるキーワードを挙げていきました。
これらは、お互いの話を聞く中で「『明日』を考えるためにこれは欠かせない」と感じたことを整理し、共有し、参加者全員で考えを深めてゆくための切り口を確認し合うためのものです。
出てきたキーワードは次のとおりです。

・見える(見えてしまう/見えない/見た/見ざるをえない/見ようとしている/見たい)
・生きる/考える/経験
・進路
・時間軸のニュアンスの明日
・つくるものとしての明日
・歯車
・綻び
・覚悟

そして、これらの中から「見える」に注目し、私たちが「見える」ということにどういう意味を込めているのかを丁寧に探っていきました。



『明日』は「見たい」と思うから「見える」のか、見たくなくても「見えてしまう」のか。これまでの経験に基づいて「見える」のか、はじめからそこにあって「見える」のか。さまざまな意見がある中で、①"私"があって、そこから『明日』を見ている、②『明日』があって、そこから今の"私"が見えるようになる、というまったく異なる2つとらえ方があることがわかってきましたが、『明日』と"私"がどのようにつながっているのかをさらに考えられたら...とファシリテーターが投げかけたところで時間切れとなってしまいました。



最後に、今回の対話を会場の片隅でじっと聞いていらした畠山さんが登場し、感想を語ってくださいました。

そこで話してくださったのは、イギリスのパブに置いてあるという"FREE BEER TOMORROW"と書かれたプレートのことでした。このプレートを見て「『明日』来ればビールがタダだ!」と楽しみに家に帰るけれど、翌日パブに行ってもプレートにはやっぱり「また『明日』」。畠山さんは、『陸前高田2011-2014』のあとがきに記した文章について、「早く『明日』にならないかなと、寝床の中で考えさせるようなこと。小さいことでもいい。『明日』を感じさせるものでさえあれば、それで充分だという気持ちで書いた」とおっしゃっていました。

みなさんはこの話を聞いてどんなことをお考えになったでしょうか。3時間の対話を終えてまだまだ問いが深まる、てつがくカフェの醍醐味を味わえた回でした。



報告:S




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13396#report


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