報告 2017年02月18日更新

第57回てつがくカフェ「震災遺構って何?」レポート


【開催概要】
日時:2017 年 2 月 18 日(土)14:00-16:30
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2017/02/57.html


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今回は、「『震災遺構』って何?」というテーマで対話を深めていきました。

震災から6年を目前にした今、対等性の作法のもとで、じっくりと言葉を交わしました。

まず、参加者の方から「震災遺構は一義的なものでなく、多義的なものでないといけないのでは?」という投げかけがあり、理解の幅や解釈、当事者性などの観点から、意見を出し合いました。

ここでは、震災遺構はあの時から続いている「遺物」なのか、あるいは、日常に馴染まない「異物」なのか。また、陸前高田の「奇跡の一本松」、気仙沼の「第18共徳丸」、そして「被災当時に撮った写真」は、一体どのような立場をとるのかといった意見がありました。





私たちは遺構によって何を伝えたいのでしょうか。
残された「モノ」として...誰に向けるかという「宛先」は...

記憶は「モノ」に影響されます。よって遺構は、「祈りの対象」として、あるいは「よすが」として在るのかもしれません。
一方で、自分が危険な目に遭った場所、または大切な人が亡くなった場所をさらす覚悟、あるいは引き受ける覚悟はあるのか、という意見もありました。
また、遺構のそばで日々の暮らしを営む「当事者ではない当事者」についても考える必要がありそうです。

対話は進み、震災遺構は、「シンボル」や「当事者性」が物語性をもつことで価値が立ち上がってくるという展開になりました。

続いて、これまでの対話を踏まえて、キーワードを挙げていきました。




ここで挙げられたキーワードは次のとおりです。

<キーワード>

・なぜ残すのか?(誰が?/誰に?)
・ポルノ(感動etc)
・悲惨さ/ひろがり
・どう残すのか?
・印象
・モノ(として災害が見える)/ストーリー性(当事者間での)
・異物(言語化以前のモノとして残すのか、語るモノとして残すのか?)
・よすが

そして、キーワードをもとに、「震災遺構とは」に応えるかたちで定義付けを行いました。

<定義>

震災遺構とは
・センチメンタルなストーリーに流されてはならないものである
・つなぐものである
・思考の/ことばの/「ものがたり」のはじまりである

キーワードや定義について考える時、「伝えること」と「祈り」の両立は難しいとの意見がありました。また、「伝えること」の中には「伝えにくいこと」「伝えてはいけないこと」、あるいは「語りえないものを語ること」などがある、との意見もありました。

今回のテーマにおのおのが思いを馳せて、対話を通して自身の考えを深められたことと思います。




報告:木村 涼子(てつがくカフェ@せんだい)




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13430#report


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