報告 2017年03月11日更新

てつがくカフェ第59回「〈記念〉について考える」レポート


【開催概要】
日時:2017 年 3 月 11 日(土)15:00-17:30
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2017/03/59.html


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当日は3月11日でしたので、てつがくカフェ開催に先立ち、東日本大震災の発生時刻14時46分に黙祷を捧げました。

その後、15時から「記念について考える」というテーマで対話を行いました。 まず、はじめに「記念」について自由に思ったことを話していただきました。



記念日、記念の品など記念にまつわる言葉が出されました。それらの記念は、大きく分けて2種類あり、ひとつは、1対1の個人間の記念、そしてもうひとつは設立記念日のような多数の人が関わる記念です
そこから、多数の人が関わる記念について対話が深まりました。多数の人が関わる記念は、個人に同調を求めることがあるのではないか。その一方で、震災のこと、戦争のこと、個人では忘れたいことではあっても、公として忘れてはならないことを記念にするのではないか、などの意見が出されました。
また、記念とはひとつの区切りで、冠婚葬祭や式典など、さまざまな人が集まって感情を共有する場であるという声もありました。



そして、記念を考えるにあたり、過去‐現在‐未来という時間軸が示されました。記念とは、過去の出来事を投影し、意味づけしたものではないか。しかし逆に記念日などとすることで、神妙なものが娯楽化してしまったり、本来の意味が失われ記念日の形式だけが残ったりするという声が上がりました。例えば祭りのお神輿などは、本来の祈りの意味は薄らぎ、イベントとしての色合いが強くなっています。
しかし、それだからこそ過去から受け取り、関わることができるという声もありました。 ここで、新たな疑問として、そもそも記念とはお祝いのときに使う言葉ではないか、という意見が出されました。震災等の出来事の記念は「メモリアル」では?という声もありました。しかし、終戦記念日もあるということで、ここはそれぞれの感じ方の違いをあらためて再確認する場となりました。




以上のような対話をふまえ、〈記念とは何か〉をより深く考えていくために、どのようなキーワードが挙げられるか考えていきました。

ここで挙げられたのは、次のような言葉でした。

・きっかけ
・心の歴史
・きねんの先
・できる日/できない日
・心を誘導する装置
・形式
・思う
・強制
・個人⇔他者
・思い出

これらを踏まえて、記念とは何か、をそれぞれ定義していきました。

・記念とは、価値観を共有し合う目的のものである。
・記念とは、意味づけが消えて形式だけが残ったとき、場として機能するものである。
・記念とは思いを表すものである。
・記念とは個人の自由にならないのか?




これらを考えていく中で、もう少し掘り下げて考えてみたい部分なども出てきました。ここで終了時刻となりましたが、参加者それぞれが記念について、新しい捉え方ができたように思われます。








*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13507#report


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