報告 2017年05月04日更新

てつがくカフェ第60回「『心の復興』を問い直す」レポート


【開催概要】
日時:2017 年 5 月 4 日(木・祝)15:00-17:30
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2017/05/60-.html


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本日はゴールデンウィークの最中だからでしょうか、青年の参加者がいつもより多く感じられました。

さて、今回は「心の復興」について緩やかに共有されているイメージや前提を解きはらい、今一度、その意味や意義を問い直す対話が繰り広げられました。




震災に関わるさまざまな事象と適度な距離感が持てることや事象を受け入れて前向きになることが「心の復興」ではないかという意見があり、それは<状態>を指したり<試み>であったり、受け止め方は人それぞれのようでした。また、新しい道路ができるなど「モノ」の復興が「心の復興」に影響を及ぼしているのではないかという一定の順序をもつ見方もありました。

その後、「心の復興」という言葉遣いに違和感をもつ意見が多く出ました。例えば、「心の復興」には「私」という主語があてはめられない、あるいは、復興の定義はマイナスからプラスへの変化を指しているが人の心はこのような状態にならないので言い当てられないというものです。

そもそも「心」はその人のものでありひとつには決められないものであるにも関わらず、国で「心の復興」という取り組みをすることはマインドコントロールなのではないか、公共性が意図的にまとめられており操作的だろうとの見方もありました。どうやら「心の復興」の問題性が根っこにありそうです。

これまでの対話を踏まえ、キーワードを選出しました。



① 私

② 心の復興は「誰のものか?」(のために/に向けて)

③ 状態を目指すものなのか(示すものなのか) 状態/性質/目的

④ 復興/新興

⑤ 公共性

⑥ 幸せ

⑦ 強い心/弱い心

⑧ 誰が?

⑨ こころ(個人?生きがい?居場所?)

⑩ 時間(いつ終わるのか?)/評価

⑪ 受け入れる

これら11のキーワードは、・誰が行うか ・関わり方/意味づけ ・意味内容 ・心の感触 ・時間/評価 の5つに分類できました。

 

60回レポ画像④.jpg

その後の対話の中で、「心の復興」とは「自己」で立ち、「他者」を意識せずに人生を歩むことだ、という意見がわたしの胸に突き刺さりました。

しかし、それには抜け落ちている視点があったと、その発言者は付け加えます。

自分の物語は自分で書き進めなくちゃけいない。でも、自分だけでは完結しない。他者の承認がなければ、その物語に力強さを与えることができない。だから他者が必要であり、関係性が育まれ、社会的なものになると。

また、人間というものは社会の中で生きていく上で共同体の壁にぶち当たることがあります。その時、共同体と折り合いをつけなければいけない時が必ずきます。「私の心」だけでは済まない時期がきます。

今回の「心の復興」を問い直すというテーマの対話では、時には自分の心に折り合いがつかず、他者に譲渡したくなる時もあることや、宛先がなく行方もない「心の復興」に違和感を覚えることなど、自分の中で抑えこんでいる意見をこの場で吐き出すことができたように思います。その上で、心の復興について私たちの問題として考え続けていきたいと思います。ご参加下さいましてありがとうございました。




(木村涼子)




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13565#report


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