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報告 2021年11月09日更新
【レポート】第77回てつがくカフェ(オンライン)
【開催概要】
第77回 てつがくカフェ
日時:2021年9月25日(土)14:00−16:00
会場:Zoomを使用したオンラインでの開催
ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)
今回のてつがくカフェは、オンラインでの実施となりました。
テーマは「コロナ禍での日常を考える」。コロナ禍となって1年半。今感じていること、考えていることを共有しながら、対話を通して考えを深めていきました。
はじめに、コロナ禍での日常について感じていることを自由に出してもらいました。
まず出されたのが、オンライン化が進んだということです。距離や身体的なハンデを超えて興味のあるイベントに参加したり人脈を広げることができるメリットがあったと言います。その一方で、制限の多い生活でメリハリがなくなったという声もあがりました。
また、コロナの死者数のニュースが天気予報の気温のように言われている感じがするという意見が出されました。死が人間としての尊厳や文化から逸脱してしまったという声もありました。
今までの日常はもう戻らないのかという疑問も出されました。日常は、(ここでは家を例として)守られている実感があるもの、変わらないものとして連続性がありました。しかしコロナ禍では非日常になったと言います。
ここで、ワクチンを接種していないとみんなと遊んではいけないというルールがある学生の例があげられました。リスク管理としては良いのですが、どこかもやっとした感じを残す例です。
また、対面とオンラインの比較を行いました。対面では相手のリズムや空気を読み取ることができますが、オンラインでは相手の情報が少なく意思疎通に不安があると言います。また、対面では出会いや発見に偶然性があるものの、オンラインでは自分が選んだものだけを見ることになりやすいと出されました。
ここで「余韻」と「余白」と「間」という言葉が出ました。対面ではイベント後にその場に残って会話をしたり考えたり「余韻」を持つことができます。また仕事に関しては、通勤などの「余白」時間で仕事モードとオフモードの切り替えをしていたといいます。顔つきなども変わります。オンラインではそれらの「間」がなくなったと言います。
ここまでの対話をふまえ、コロナ禍の日常をさらに深く考えていくためのキーワードを挙げていきました。出されたキーワードは以下の通りです。
・余韻
・余白
・「間」抜け
・顔
・非日常の日常化
・日常
・人と会う
「日常」については、もう少し定義をはっきりさせることになりました。ここまで出てきた「日常」には、「状態」と「感覚」的な日常があることがわかりました。また「日常」は生命に関わる以外の活動的な部分、繰り返して将来も続くと信頼できることという意見も出されました。
ここまでの考察で、あらためてコロナ禍の日常を考えるための問いをあげていきました。
・偶然性の幅はどこまでが望ましいのか
・日常はコロナのあと連続性が増したか
・コロナ禍によって自分たちの日常がコントロールしやすくなったか
・非日常の妥協点はどこか
これらの問いが出されたところで時間終了となりました。
コロナ禍で日常がどのように変化していったのか。「偶然性」や「連続性」や「間」というキーワードからさらに考えを深めていくヒントが得られた回となりました。