報告 2022年01月29日更新

【レポート】第78回てつがくカフェ(オンライン)


【開催概要】

78回 てつがくカフェ
日時:2021年12月11日(土)14:0016:00
会場:Zoomを使用したオンラインでの開催
ファシリテーター:安田義人(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)

今回のテーマは「我慢」についてです。緊急事態宣言も解除され感染も落ち着いてきた今だからこそ我慢について対話を通して考えていきました。

まず参加者がコロナ禍でどんなことを感じていたのかというところから始めていきました。外出して何かをやるという欲求自体がそもそも強くなく、それほど我慢していないという意見や、コロナ禍での社会の変化(テレワーク化)が逆に自分自身には都合が良く、特に我慢していないという方がいらっしゃいました。その他には我慢よりも辛抱や忍耐といった言葉の方がしっくりくるという参加者や、我慢よりも不安の方が大きいという方もいらっしゃいました。ワクチン費用や給付金等の国の借金という不安、お年寄りの集いの場の減少や地域医療の崩壊といった市民の福祉に関係する不安といったものです。

このような意見を出発点として対話をしていきました。コロナ禍でそれほど我慢していないという方々に対して、無意識の欲求は否定できないのではないかという疑問を投げかけました。周囲の人々に合わせて欲求を抑圧し現状に慣れてしまっているだけで、本当は自分でも気が付かない欲求があるのかもしれません。ここから我慢や辛抱、忍耐といった言葉の使い方について話題が移っていきました。原因はどこになるのか、その動機は内発的なのか外発的なのか、状況や目的・目標は誰が用意したのか。また似ていますが明らかに違う言葉として控えるや遠慮するといった言葉もあがってきました。ここまでで主なキーワードを抽出しました。

・我慢

・辛抱

・忍耐

・控える

・遠慮する

・内発的

・外枠

・慣れる

・意識と無意識

・抑圧

withコロナ

afterコロナ

ここからキーワードをさらに吟味していきました。我慢・辛抱・忍耐・控える・遠慮するとそれ以外で大きく2つのグループ、さらに我慢・辛抱・忍耐と控える・遠慮するで2つの小グループに分けることができだろうという意見でまとまりました。世界に一人しかいないならば控える・遠慮するという言葉は使いません。控える・遠慮するは他者がいて成立する言葉です。一方、我慢はその欲求は原始的で解決する選択肢が少なく受動的なもの、忍耐は目的・目標を自発的に作り理性的・能動的なもの、辛抱は辛いという字が入っているように気持ち・感情に由来するものの忍耐よりの概念であり、我慢と忍耐の中間的なものという意見でまとまりました。では辛抱・忍耐と控える・遠慮するはどう違うのでしょうか。辛抱・忍耐は欲求とその抑圧量が高いが、控える・遠慮するは両者共に低いのではないかという比較をされた方がいらっしゃいました。また別の角度から、そもそも私たちは我慢しているのか、小さな目の前の欲求を捨てて大きな欲求達成のために我慢しているだけではないかと疑問を抱かれた方がいらっしゃいました。この辺りから我慢・辛抱・忍耐・控える・遠慮するに共通するのは欲求ではないかとまとまっていきました。問いとして以下のようなものがあがりました。

・欲求とは?

・欲求の抑圧とは?

・欲求はどこから生まれるのか?

ここで欲求という言葉からマズローの欲求の5段解説を例に出された方がいました。下の階層から生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現の欲求。今回は欲求をテーマに掲げていたわけではありませんが、我慢から出発して最終的には欲求とは何のかという問題に落ち着きました。普段私たちは欲求そのものには無自覚で、欲求を抑圧する概念群に従って欲求を捉えていたのかもしれません。コロナ禍で私たちは本当に何がしたいのか、その欲求が浮き彫りになった回でした。

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