報告 2022年03月31日更新

【レポート】第79回てつがくカフェ(オンライン)


【開催概要】

79回 てつがくカフェ
日時:2022年3月5日(土)14:0016:00
会場:Zoomを使用したオンラインでの開催
ファシリテーター:安田義人(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)

今回のてつがくカフェは、モヤモヤボードをもとにして対話(zoom)を行いました。モヤモヤボードとは、東日本大震災に関してモヤモヤしていること、震災について考えていることを事前に募集し、一般のコメントを付箋紙で集めた掲示板です。せんだいメディアテーク内に設置されました。

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はじめに、参加者とモヤモヤボードの内容を共有しました。その後、モヤモヤボードの言葉は「自分に対する憤り」と「他人に対する憤り」の二つに大きく分けられるのではないか、あるいは、モヤモヤボードのコメントに共感して、「若者の語り部」は、自発的に担っているのか、それとも担わされているのか疑問だという意見がありました。また、震災後によく耳にする言葉、「共に生きる」や「絆」は、被災していない人が被災者を都合よくコントロールするフレーズにもなっているのではという意見もありました。さらに、原発事故の補償の違いから出る不満や不平等感が、11年後も残り続けているのは何故かという発問もされました。震災報道がマスメディアを通じて伝えられるが、話題に取り上げられないものもあったり、「良い話」でまとめられたりすることで、語られずに抜け落ちていることがあるのではないかという話もありました。

次に、以上を踏まえて、今回の哲学対話の「キーワード」として何が挙げられるかを参加者に尋ねました。

・モヤモヤの宛先(自分に対してか、他人に対してか)

・モヤモヤの根っこ(怒りや悲しみなど)

・人々の分断

・(当事者の)語り始めの立ち位置

・3月に震災を語ること

・なぜ今震災を語るのか

・他人に対する決めつけ

・語り部(同じ経験を二度としてほしくない、あるいは経験を共有したい)

・語られていないこと

・語ることと聞くこと

・語りの意図(自分が語りたいから語るのか、相手に何かを伝えたくて語るのか)

話し合いを進めていくと、「語り」というワードが取り上げられるようになり、「震災を語るとはどういうことか」という大きなテーマが浮かび上がってきました。そこで話題になったのは、例えば、補償待遇の良し悪しが語られるとき、話題となる人の具体的な状況をどれだけ知ることができているのか、という問題です。すなわち、自分とは違う待遇の相手と十分に話す機会もなく、互いに具体的な立場や状況が分かっていない場合もあるのではないか、ということです。ここから、補償金によって人々が分断されてしまい、人々の間に「語られていないもの」が生じてはいないか、という発問にも繋がりました。続けて、語り部を引き合いに出して、自分が語りたいから語るのか、意図をもって相手(聞き手)に語るのかでも違いがありそうだという指摘もありました。

最後に、今回の対話の成果を「問い」の形にしました。ここでも「語り」が中心的なテーマとなりました。まず「今、震災を語ることで、語られていないことは何か」という発案がありました。それを皮切りとして、「語るとはどういうことか」、「なぜ語らないといけないのか」、「どうして語られないのか」、「何を語り継いでいくべきか」と、様々な角度からの問題提起がありました。今回の対話では、震災後の補償も絡んだ人々の分断、報道の照射のしかたなどのモヤモヤから、震災について「語ること」と「語られていないこと」という問題が浮かび上がってきました。語ることと語られていないこと、語る人と聞く人、これらの関係はどうなっているのか。今回は、モヤモヤが「語り」という観点で整理されたと共に、このテーマの更なる広がりや深まりがほのめかされる、そんな回でした。

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