報告 2022年09月11日更新

【レポート】第80回てつがくカフェ(オンライン)


【開催概要】

80回てつがくカフェ

日時:2022811日(木・祝)14:00-16:00

会場:zoomを使用したオンラインでの開催

ファシリテーター:安田義人(てつがくカフェ@せんだい)

ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)

 

今回のテーマは「暴力と私」についてでした。

まず、自身の幼少期のいじめ体験について、語ってくれた参加者がいました。嫌な人だからという理由から、いじめをしてしまったと。それ以外にも人に強くあたる理由として、その方は人を下に見て優越感を抱いていたと告白してくれました。また別の参加者は暴力を振るう理由として「利益」、「甘え」、「破壊」の3つに分類されていました。またその方も過去に暴力を振るった経験として、自身の身体的向上を確認したいという理由からで、しかしその時に「罪悪感」はなかったそうです。言葉の暴力に関してもストレス発散として逆にある種の快楽を得たと回想されていました。その他にもボクシング経験者からは、一見すると暴力を振るっているようでも相手に対する敬意が必ずあると語ってくれました。また暴力認定という誰が暴力と認定するのかという話題や、暴力のきっかけとして「ルール」や「モラル」という観点、暴力がなぜ怖いのかという疑問などがあがりました。ここで暴力の分類にまた話が戻り、暴力には衝動的なもの、目的をもったもの、そして無自覚な暴力があるのではないかと意見があがりました。ここまでで主なキーワードを抽出しました。

 

・罪悪感

・ルール、モラル

・自覚

・目的と衝動

・当事者

・関係性

・作為・不作為

・意図・予見

・自と他

・肯定とタブー

・承認

・原罪

 

ここからキーワードを基にさらにその関係性の議論が続けられました。手段としての暴力には、生きるために動植物を殺すことや、対人関係において相手を意のままにコントロールするためなどがある一方で、暴力そのものの欲求もあるのではないかと意見がありました。これはストレス発散などではなく純粋に暴力を振るいたいという欲求です。他のキーワードに関しては、「意図・予見」に関して話題があがりました。例えば車を運転する人は、もしかしたら事故を起こすかもしれないという予見がありつつ日々運転をしています。結果として交通事故は被害者に暴力を振るう形になります。このとき暴力を振るうという意図は運転者にはありませんが、結果としては暴力を振るった形になります。この意図の有無と暴力の関係は、「作為・不作為」と暴力の関係と似ています。例えばハラスメントは、ハラスメントをする側が不作為であったとしてもされた側からの申告によって成立し得ます。ここまでを振り返ると、暴力には行使者と対象者と観察者の三者間による力の関係にまとめることができるのかもしれません。物理的な暴力は、行使者の振るう力を対象者へと及ぼしその結果を三者共観察できますが、言葉の暴力などは、対象者内部で言葉の反応が起こるため対象者以外は暴力の結果を観察することができません。ボクシングなどのスポーツでは二者間でやり取りされる力がルールに反しているかどうかを観察者である審判が判定をします。制御されず予期・予想できない力を暴力であるとした場合に、その予期・予想する視点は行使者、対象者、観察者の三者の視点があり得ます。

 

問いとして以下のようなものがあがりました。

 

・なぜ私たちは暴力をという手段をとるのか?

・ルールやモラルは暴力を減らせるのか(減らせるが新たに生み出すことも)?

・欲求としての暴力とはどのようなものか?

・暴力のない社会は本当にいいのか?

 

今回は「暴力と私」というテーマで、自身が暴力をどう捉えているのかを中心に、地に足の付いた対話ができたのではないかと思います。自分がどう暴力を振るってしまったのかを隠さずに話された方や、一見暴力に見えることも、その当事者間では別の感情が沸き起こっているという経験談などもあり、暴力に関する知見が広がった回でもありました。

 

文責 てつがくカフェ@せんだい

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