報告 2025年02月18日更新

【レポート】第93回てつがくカフェ


【開催概要】

てつがくカフェ  体験を言葉にするということ­ ー『戦争語彙集』から考える

日時:2025年2月16日(日)14:0016:30

会場:7f スタジオa

ファシリテーター:浅利信太朗(てつがくカフェ@せんだい)

ファシリテーショングラフィック:古藤隆浩(てつがくカフェ@せんだい)

 

 今回は、これまで読書会などを通じて理解を深めてきたオスタップ・スリヴィンスキー氏の著作『戦争語彙集』を起点とし、「体験を言葉にするということ」をテーマに対話を行いました。

 ネットや本には「他人事」の言葉があふれている、自分の体験だけを言葉にすればスッキリするのではないかという指摘から対話が始まりました。言葉として残したいこと・残したくないこと、自分のための言葉・他者に何かを伝えるための言葉について言及があり、他者に伝わりやすくすることで、言葉と体験がズレてしまうこともあるといった声もあがりました。また、医療従事者がときにユーモアを交えて話すこと、言葉にするために必要な時間とスピード感についても語られました。

 

 次に、昨年のトークイベントでスリヴィンスキー氏が語った「武器をください」という言葉をめぐり、さまざまな思いが語られました。戦況が切迫する中で命を守るために発せられた言葉ではないか、わたしたちが平和な日本にいるからこそ『戦争語彙集』の内容とのギャップを感じる言葉ではないか、この言葉の主語が違和感の原因ではないか、ということが話されました。「武器をください」の主語は「われわれ(ウクライナ)」ですが、聞き手は「わたし」として受け取ったのではないか。そこから、戦争や災害を語る言葉の主語は、わたしではなくわれわれ(複数形)になりがちで、「わたし」が「われわれ」に動員され一体化されやすいことが語られました。

 

 また、若い人に「6.23、8.6、8.9、8.15が何を意味しているか」と聞いても戦争を意味する数字だと気づかないという参加者のエピソードから、過去や現在の戦争体験を知ることと、その伝え方について話題になりました。祖父が特攻隊だったことを知り戦争に関心を持ったという体験から、言葉が伝わるにはその経路も重要ではないかという意見もありました。ある参加者は、強風の日に倒れた自転車を一部だけ起こした経験を例に挙げ、どこまで対処すべきだったか考えたことを話してくれました。戦争や震災以外にも悲惨な出来事はたくさんあり、どこまで関心を持って行動すべきなのか。自転車を一度起こしても、また風で倒れ傷が増えるように、善意の行為が必ずしも正しいとは限らないことや、罪悪感を感じる人と感じない人との違いについても意見が交わされました。

 

 このような対話から、次の言葉がキーワードにあがりました。

 

「平和な日本人だから」「相手の枠に合わせて語る」「自転車をどこまで起こすのか」

「言葉の不完全さ」「言葉と記録の違い」「ふと自分から出てきた言葉」「立ち上がってくる」

「武器をください」「スピード感」「ズレ」「ユーモア」「読み手の主語」

 

 これらのキーワードをつなげたり、なぜ気になっているのかをさらに考え吟味する中で、ある参加者から出された問い「ユーモアは相手の枠をこわせるのか?」を元に、目的語や述語を言い換えながら、問いを検討していきました。

 

 ユーモアは、

  相手の枠をこわせるのか?/ずらせるのか?

  読み手の主語をこわせるのか?/ずらせるのか?

  相手の見えている範囲を広げられるのか?

  視界の外を気づかせるか?

  自分(の常識)を超えられるのか?

  視野(自分、相手)を広げられるか?

  あなたを変えられるのか?

  あなたの背後をとれるのか/死角を消せるのか?

  読み手と語り手の主語を俯瞰することができるのか?

 

 問いをひとつに収斂させ答えるところまではたどり着けませんでしたが、今回てつがくカフェに参加した人でだけ共有できる新たな語彙がいくつも生まれました。

 このような場を、今後も継続して作っていきたいと思います。


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