2023
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報告 2025年04月09日更新
【レポート】第94回てつがくカフェ
【開催概要】
てつがくカフェ 小さな声を重ねるー震災から14年が経過して
日時:2025年3月16日(日)14:00〜16:30
会場:1f オープンスクエア(星空と路 会場内)
ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)
今回のてつがくカフェでは、事前にモヤモヤボードを使って集められた意見をもとに、東日本大震災に関するさまざまな疑問や思いについて対話を行いました。これらの対話を通じて、震災に対する複雑な感情や問いが浮き彫りになりました。
まず、原発問題と地球温暖化の問題が切り離せないという意見がありました。また、モヤモヤボードには地震自体への恐怖を感じる声も多く、震災を経験していない人にもその「こわさ」をどう伝えるかという問題が浮き彫りになりました。
震災の振り返り方についても、3月だけに注目するのはどうなのかという疑問が提起されました。3月11日に黙祷をすることが習慣となっている一方で、震災を未経験の人や震災時に生まれていなかった人たちが何に対して黙祷すべきかという問いがありました。
また、震災に関するメディアの報道に対する疑問も提示されました。メディアが震災の感動的な部分ばかりを強調し、実際の被害や苦しみが薄れてしまっているのではないか。もっと多面的な視点からの報道が必要だという意見も出ました。
福島出身者の方から、震災の話になると悲しい話を周囲から期待される圧力を感じるという意見があがりました。震災経験を語ることが、その地域や出身者に対する社会的な役割として押し付けられることに対して戸惑いを感じるといいます。さらに、震災の「伝承」についても意見が出ました。伝承館やガイドブックにおける震災の紹介が視覚的に美しい風景を前面に出すことが多く、それが震災の本質から逸れてしまうのではないかという懸念が示されました。その見せ方をどう受け止めるべきか(批判してはいけないのではないか)悩むという声もありました。一方で、まずは来てもらうことが大切であること、30年後、100年後まで伝えていくためには、批判も含めて経験していない人も一緒に考えることが重要ではないかという意見も出されました。
さらに、「3月11日」という日付に対する感情が複雑であることが話題に上りました。例えば、3月11日が自分の誕生日である場合、この日をどう祝うべきかという葛藤が述べられました。また、震災の教訓を伝え続けるには、イベントやお祭りのような形が必要だという意見がある一方で、それが商業化されてしまうことへの懸念も示されました。ただ、考えるきっかけをつくるためには、ある程度の商業化はやむをえないという声もありました。
震災の「当事者」と「非当事者」という区分は、一律に決められるものではなく、世代や経験の有無、さらにはその場の状況によっても変化することが議論されました。「震災当時どこにいた?」という問いに対し、仙台や東北ではなかったと答えると、それは仙台では話さない方がいいと言われたという体験が共有され、出来事や経験、住んでいる場所によって分断が生じているのではないかという意見が出ました。
震災後に被災地へ移住した人の中には、「今はここに住んでいるが、当時は住んでおらず被災も支援もしていない」という移民的な距離感を感じることがあるという声もありました。一方で震災を経験した人の中でも、被災の程度や場所の違いによって距離を感じることがあるという意見もありました。
当事者・非当事者の分断に関しては、震災を経験した人同士だからこそ共有できる会話もあり、そこには寄り添いながら温かく見守ってほしいという思いも出されました。また、震災を経験していなくても被災地で暮らしたり話を聞いたりするなどの「行為」を通して理解を深めることができるのではという声もありました。
また、例えば未来から見れば、震災を経験したかどうかに関係なく、同じ時代を生きたすべての人が当事者といえるのではないか。そうした視点を持つことで、分断を超えて震災をどのように受け止めて伝えていくのかを改めて考える必要があるのではないか、という意見も出されました。ただ一方で、「やはり経験の有無には、どうしても違いがあるのでは」という率直な応答もあり、受け止め方の幅広さが感じられる場面となりました。
続いて、これらの対話を踏まえて震災を考えるうえでのキーワードを挙げてもらいました。
<キーワード>
・個人、社会、世間
→社会は個人の意見を積み重ねて調整したもの、世間は空気感や誘導される雰囲気。
・距離感
→体験や出来事、世代や住んでいる場所によって、距離感が異なる。
・体験
→体験の有無ではなく、体験の濃度が問題。追体験もまた異なる体験として捉えられる。
・どう受け止める/受け止めない
→震災をどう伝えるかは受け止める側の問題でもあり、伝え方によって受け取る側の反応が異なる。
・グラデーション
→体験の濃度に応じた理解と距離感が存在し、体験した人と追体験者との間に違いがある。
そしてここからその考えを深めるための問いを出していきました。
<問い>
・非体験を行為によって乗り越えられるか
・個人の体験を解きほぐす行為とは
ここで時間切れとなり、ここから先はそれぞれが持ち帰り、さらに考えを深めていこうということで、終了となりました。
震災からの時間が積み重なる中、経験の有無や距離感の違いによる分断がある一方で、それを乗り越えようとする対話の可能性も感じられました。震災をどう受け止め、どう伝えていくのか。その答えは一つではなく、問い続けること自体に意味があるのかもしれません。これからも、異なる立場や世代の声を交えながら、震災について考え続ける場を大切にしていきたいと思います。
(文責:てつがくカフェ@せんだい)