報告 2023年09月27日更新

第18回映像サロンレポート


86日(日)に、みやぎシネマクラドル第18回映像サロン「『あいまいな喪失』ラフカット上映会~原発事故が顕わにした、ある家父長制家族の物語~」を開催しました。

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今回は、東日本大震災後の福島をフィールドに映像制作を続ける山田徹さんの、編集段階の長編ドキュメンタリー映画『あいまいな喪失』のラフカットを上映し、参加者で作品への感想を語り合いながら、作品をより良くするための意見交換を行いました。

 

山田さんは、2015年に『新地町の漁師たち』を完成させたのち、2018年からは浪江町で印刷業を営んでいた高齢の家族にカメラを向けることになります。その背景には、東京生まれ・東京育ちの山田さんが衝撃を受けた、一家の長(男性)が強い権限を持つ東北の家族のあり方と、原発事故がもたらしたその伝統的な家族の変容を描くことで、震災や福島に生きる人びとの知られざる一面を伝えたいという動機があったようです。

 

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発表者の山田徹さん

 

そうして、カメラは渡部家という3人の家族の避難生活を、まるで家族の一員であるかのような近い位置から淡々と見つめていきます。原発事故の影響で故郷の土を踏むこともできず、老いていく自分を惨めと卑下する99歳のテツさん。そんな母を気にかけながらも介護に抵抗を示し、仕事や家を失った虚しさから脱せずにいる武政さん。そして武政さんとは対照的に、献身的にテツさんと関わりながら、新しい環境の中でも前を向き、いつかは「嫁」の勤めから解放された自由な人生を夢見る茂子さん。

 

作品では、これら三者三様の胸の内に秘めた思いが丁寧に描かれ、沈黙や「間」を大事にし、音楽等の装飾を極力排した映像からは、その言葉が人物の肌触りとともに伝わってくるような感覚を覚えました。

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上映後のディスカッションでは、参加者からさまざまな感想が寄せられましたが、とりわけ注目されたのが、常に家族の中心にいるテツさんの存在です。震災が夢とも現実ともつかぬテツさんの視点を通して見えてくる避難生活の日常と非日常。とくに震災による住環境の変化と介護の問題は、切実な問題として観る者の胸に迫ってきました。

 

そしてこうした現実の中で描かれる、それぞれの立場の苦悩をお互いに配慮し合いながら、ときに衝突し、不器用ながらも関係を修復して寄り添い続ける家族の普遍的な姿。それら一つ一つの何気ないシーンは、この映画が震災を切り口としながら、現代社会の諸問題を考えるための視点を豊かに内包していることを如実に物語っていました。

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とはいえ、ラフカットの現段階では、まだ編集の粗さや方向性の定まらなさも目立ち、映画の構成やテーマについてもう一度見直す必要があるのではという意見も多く出ました。第一に、鑑賞する人が迷わないよう、何を軸にして編集していくのかということ。また「家父長制」という言葉が扱う問題は広範で観客によってはミスリードになりかねないので、そうした言葉に安易に当てはめないほうが良いのではないかということ。そして何より、テツさんの魅力あふれるシーンがもっと見たい等の意見が交わされました。


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現実に生きる人を対象とするドキュメンタリーの場合、最初に作り手が意図したことと、最終的に出来上がる作品が変わることは往々にしてあります。参加者の中からも「この映画がどんなふうに生まれたがっているのか、そこに耳を傾け、映画のために尽くせる人が映画監督である」という言葉がありましたが、そうした監督としての責任に真摯に向き合う山田さんの姿に、各々の作り手が自分自身を重ねて見ていたのではないかと思います。発表者とはまさに他の作り手にとっての鏡のようなもので、お互いに本音の意見を交わし合いながら、みんなで大切なことを確認し合うのが映像サロンの意義深いところでもあります。

 

山田さんはこれまでにもさまざまな紆余曲折があったようですが、今回の90分のディスカッションを経て、改めていろいろなことを整理できたようです。この映画がより良い形で生まれるよう、そして何より、渡部さんご家族や関係者にとって望ましい形で羽ばたき、多くの人の元に届く作品になるよう、みやぎシネマクラドルとしても引き続き応援していきたいと考えております。

 

山田さん、この度はお疲れ様でした!引き続きがんばってください!

 

(文責:みやぎシネマクラドル)

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