2023
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コラム 2024年04月15日更新
会員寄稿文「わたしにとってのドキュメンタリー」Vol.4 小原啓
※この企画は、みやぎシネマクラドルの活動をより理解していただくことを目的として、「わたしにとってのドキュメンタリー」をテーマに会員が自由に文章を書く企画です。
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私を除くシネマクラドルの映像作家は皆、映画という形でドキュメンタリーと関わっていますが、私はテレビという媒体でそれと向き合ってきました。
テレビ業界に身を置いて30年。振り返れば自然や歴史、人、社会問題など、我ながら節操がないと呆れるほど様々なジャンル、テーマのドキュメンタリーを手掛けてきました。あるときは太平洋戦争時、激戦の島から持ち帰った日本兵の手紙を親族に返したいという元・米軍兵に会うため渡米したり、またあるときは遠洋漁業の最前線を撮るため単身で半年間、遠洋マグロ船に乗り込むなど、作品の出来不出来は別として間口の広さだけは誰にも負けない自負があります。
ではドキュメンタリーを作るにあたって自らを動かす原動力は何か。おそらく生来持ち合わせた野次馬根性が影響しているのでしょうが、ディレクターとして自ら「その場に立ちそこで起きている事象や人間に生(なま)で向き合いたい」という強烈な欲求です。それは時に「おまえのエゴだ!」と言われるかもしれませんが(実際、そう揶揄されたことも...)自分にとってドキュメンタリー制作の出発点は常にそうでした。「誰かに伝えたい」のずっと手前にあるのが「その場に立ちたい」という欲求。そしてその時、自分はどう変化するのかという興味です。想像を超える現実を前にうろたえるのか、心が震え涙があふれるのか。時には短絡的で浅い自分の考えを恥じることもありました。
前述した元・米兵に会ったときのことです。その老人は予想通り聡明で人間味に溢れる人物でした。インタビューが終わり雑談をしている時、私はふとこんな質問をしました。「アメリカによる原爆投下をどう思いますか?」すると彼はこう言ったのです。「戦争を終結させるために原爆投下は必要だったと思う」。この予想もしなかった答えに私は動揺し言葉を失いました。今なら『人は一様ではない、それが人間だ』と思えます。そんな変化をもたらしたのは様々なしがらみの中でのサラリーマンとしての経験ではなく、自分にとってはドキュメンタリーだったと思います。
テレビ業界におけるドキュメンタリーの存在感は、かなり前から風前の灯火状態が続いています。そうした中、自分のテーマはこの先、どのようにしてドキュメンタリーと関わっていくのか...ということ。
なぜなら自分にとってのドキュメンタリーは「見る」よりも「現場に立つ」方が圧倒的に面白いからです。
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小原啓(おはら・さとる)
高知県出身。94年よりテレビディレクターとして番組制作に携わる。
主なドキュメンタリー作品に『戦場に残された手紙~よみがえる戦争の記憶~』(2008年)『津波を撮ったカメラマン』(ニューヨークフェスティバル 国連賞銅賞/2011年)「県境が分けた~置き去りにされた宮城県丸森町筆甫~」(ギャラクシー奨励賞/2015年)など。
2018年退職。現在、フリーランスとして映像制作に携わる。