コラム 2024年06月05日更新

「ドキュメンタリー制作ノート」第3回:撮影準備


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※この企画は、ドキュメンタリー制作における一つ一つのプロセスについて、テーマごとにみやぎシネマクラドルの作り手が文章を執筆する企画です。2024年度の1年間で以下のテーマについて執筆する予定です。

 

1回:企画・テーマ設定

2回:撮影交渉

3回:撮影準備

4回:撮影

5回:編集

6回:試写(対象への確認を含む)

7回:発表(自主上映会・劇場公開を含む)

8回:完成後の対象との関係

9回:失敗談

 

ドキュメンタリーを制作中の人、これから制作しようと考えている人の参考になれば幸いです。

なお、現在、みやぎシネマクラドルの会員がドキュメンタリーへの思いを自由に執筆する「わたしにとってのドキュメンタリー」も連載中です。そちらも是非ご一読ください。

 

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 「ドキュメンタリー制作ノート」第3回:撮影準備

 

我妻和樹(あがつま・かずき)

 自主制作のドキュメンタリーの場合、予算的な問題もあって、どうしてもあらゆる工程が監督のワンオペになりがちです。そこには良い側面もある一方で、映画制作そのものを貧相かつ不幸なものにしてしまう危険もあります。

 これは、対象との間にもさまざまな形で起こり得ます。

 基本的に、作り手は良くも悪くも「対象や物事をより深く見つめていきたい」という思いが強くあるため、撮影を進めていくうちにその思いが先走り、自分の勝手なイメージを対象に押し付けたり、自分の求める表現を実現しようとして、対象に負担をかけたりしてしまうことがあります。

 こうした作り手の独善性(ときに邪な承認欲求を含む)は、真面目に取り組んでいてもしばしばトラブルの元になるものですが、対象との関係において、作り手が撮影のイニシアティブを取りやすい立場にある場合、この独善性が表面化しやすくなり、ときとして対象を追い詰めてしまう危険があるのです。

 僕自身も、対象の本意でないことを進めようとして、齟齬や不信が生じてしまった経験はあります。対象が普段から交流のある人の場合、その都度疑問をぶつけてくれて軌道を修正できるかもしれませんが、対象によっては、複雑な思いを抱えながら表明しづらい場合もあるのです。

では、対象の安心・安全を守りつつ、作り手の意図を最大限実現できるような体制で撮影を進めるにはどうしたらよいのでしょうか。

 作り手の人権意識向上や入念な擦り合わせ、丁寧なコミュニケーションはもちろんですが、そのための一つの方法として、僕は作り手にとっても対象にとっても信頼できる第三者に関わってもらい、状況を見守ってもらうことが有効と考えます。それは映画関係の人である必要はありません。双方の立場や考えを理解し、一緒に前に進む方法を考えてくれる人なら誰でもよいのです。

 作り手と対象の一対一の関係だけでは行き詰まってしまうところに、そうしてチームとして一緒に歩んでくれる人がいるということは、双方にとって大きな安心と励みになります。

 もちろん、このような頼れる人が常に身近にいるとは限りません。それでも、「分からないことや不安なことがあればいつでも言ってください」と、対象のペースを尊重する姿勢を示すことが重要です。

 映画が対象の生活や人生を脅かすものではなく、ともにより良く生きるための方法として活用されるような環境作りに努めることが、僕は大事であると考えます。

 

海子揮一(かいこ・きいち)

 年に一度の祭りが始まる。太鼓と笛が高らかに響き、舞手の所作にも熱が入り、祭りは最高潮。これからいよいよクライマックスのようだ。それなのにカメラのメモリーカードの容量はもうあとわずか、しかも予備のカードが入ったバッグは手元にない。慌てて録画済みの無駄撮りした映像を削除しようとして全データを消去してしまう...。

 撮り直しができない状況で、こんな悪夢のような失敗をしてしまったことがある。今でもあれは取材先への冒涜だったと本当に申し訳なく思う。原因はいくつも挙げられるが、もしひとつに絞るとすれば下見や下調べの少なさ、つまり勉強不足が大きい。脚本を書くことはできなくても、シネハン、ロケハンと同じように撮影前に現地に足を運び、風景やロケーションを感じ、考えることが大事だ。

カメラはどこに置くのか、手持ちか三脚か、どんなアングルを狙うのか、屋外か屋内か、光源は蛍光灯か日光か、時間帯は、人の動きはどうか...など調べる対象も数多く出てくるが、下調べの中で思い描く撮影のシミュレーションとは、映像全体のパラダイムのためのエスキース(下描き)のためのプロセスであるということだ。

 実際の撮影では予想外のことが常に起きるものだが、その仕込み作業ができていれば対応もしやすくなる。撮影対象について調べることは何よりも相手への敬意の根幹であり、それはより深く物語の強度を高め、世界の奥行きを深める。カメラマンと兼業する映像作家なら尚の事だ。

 例として『けずりばな』(お彼岸の削り花についての短編映像)の場合、彼岸のシーズンに丸一日かけてスーパーや八百屋、ホームセンターなどを巡り歩き、削り花の形状、産地、色、本数、値段を調べてまわりフィールドノートにメモとスケッチをした。これは「視る」ことの素振り、トレーニング。どれも映像に残らない情報だが、インタビューの内容や撮影時の対象の絞り込み、そして編集に臨む自分自身の確かな手がかりとして生きてくる。

 撮影前の準備というのは、登山の前に地図でルートマップを作ることに似ている。闇雲にデータと時間を浪費して道に迷うよりは、ルートがあれば想定外の出会いや新しいアイデアにも挑むことができる。

 撮影の準備では冒頭の失敗を心に刻みカメラバッグに道具を詰め込んでいる。カメラと三脚を2セット、予備バッテリー、レコーダー、マイク、もちろん空のメモリーカードも忘れなく。

 

村上浩康(むらかみ・ひろやす)

 撮影に入る前の準備というと、取材対象者や題材に関する事前調査や打合せ、撮影場所の下見や取材許可申請、更に必要な機材の準備などが挙げられますが、それ以外に私が重要視しているのが「映画のキービジュアル」を探すことです。

 「映画のキービジュアル」とは、その作品の内容を象徴的に現わす映像のことで、例えば主人公になる人物の仕事や活動、ひいては生活、人生をも感じさせてくれるようなカットを指します。キービジュアルは映画の中で何度も繰り返し映されることにより、その人の日々の積み重ねや時間・季節の変化などを端的に示し、作品のメインイメージとして観る人に印象付けます。

 私の作品を例に出すと、多摩川の河口で暮らすホームレスの老人を描いた「東京干潟」では、彼の日々の糧となるシジミ漁がキービジュアルとなりました。川に半身浸かりながら素手でシジミ採集をする老人。その背景には、彼がかつて建築会社の経営者として作り上げてきた東京の街がそびえ立ちます。干潟という文字通り都市の最下流に行きついた老人の人生が、シジミ漁をする姿に重なります。

 同じく多摩川を舞台にした『たまねこ、たまびと』では、河川敷に捨てられた猫の救護活動を30年以上に渡って続けている男性を描きました。この男性は自転車に乗って多摩川の広範囲を移動しながら、日々捨て猫やホームレスの人たちのケアをしています。当然この作品のキービジュアルは、自転車を漕ぐ男性の姿になります。男性の自転車に並走して撮影するために、新たに自転車を用意し、またハンドルに取り付けて撮影する防振機能付き小型カメラも購入しました。

 キービジュアルは出来るだけ早めに見つけ出したほうが、撮影方針や作品指標を決めることに繋がり、何かと役立ちます。これを下見や打合せの段階で見つけ出せればいいのですが、撮影が始まってからでないと判らない場合もあります。題材によっては、かなり撮影を進めてもなかなか見つけ出せないこともあります。そういう意味では、撮影に入ったとしても、まだ準備は終わっていないともいえます。

 ドキュメンタリーの撮影は長期間に渡ることが多く、私の最初の作品は10年を費やしました。今考えると最初の1年は、撮影しながらも様々な意味で準備期間だったのではないかと思います。刻々と変わる生の対象を捉えてくのですから、その都度備えていく姿勢は撮影を終えるまで必要になってくると思います。

 

山田徹(やまだ・とおる)

 ディレクターズカメラでのドキュメンタリー制作に取り組む際、僕が心がけているのは「なぜ自分はこの場所でカメラを持ち、この瞬間にいるのか」という動機付けです。ディレクターズカメラは撮影者の意思や感情を如実に表現します。被写体との距離感や質問の内容、声のトーン、ショットの動きなど、撮影された映像からは撮影者の興味や心境が明確に読み取れます。

 曖昧な気持ちのまま撮影すると、カメラワークに迷いが生じ、不要なシーンが増え、撮影対象へのフォーカスがぼやけることがあります。またそれにより被写体や撮影現場への負担も増してしまいます。

 撮影準備で肝心なのは、撮影者が現場のコンテクストに身を置き、どれだけ共鳴できるかどうかです。カットを量産するのではなく、シーンを記録するという意識が求められます。そのためには、撮影前に被写体や環境について十分なリサーチを行い、その背景や文脈を理解し、自分の視点を明確化することが必要です。具体的には、被写体の歴史や背景を調べ、現場の環境や人々の習慣について理解を深めることです。

 例えば、家のリビングに飾られた家族写真を撮影する際には、単に良い構図で撮影するだけでなく、その写真が家族の歴史や絆を表していることを理解し、シーンの文脈に沿った撮影を心がけます。撮影する時間帯や光の加減も考慮し、映像がより深い意味を持つようにします。これらの工夫は、撮影者がどれだけ現場のコンテクストを観察したかに依拠します。映像の力を引き出すには洞察力が必要なのです。

 ディレクターズカメラの映像は、撮影者自身の内面を反映するものです。被写体や現場の世界に共感し、理解し、関わりを持つことが、よりオリジナルなドキュメンタリーを制作することに繋がります。自分自身の心と向き合い、現場のコンテクストとの関係性を築くことは時間がかかります。技術的なスキルや機材の準備はもちろん重要ですが、それ以上に大切なのは、自分の心と現場の声に耳を傾けること、つまり自分の作品をコンテクストとの対話から紡ぎ出すことだと考えます。

 ただし、ディレクターズカメラには限界があります。一人での記録には様々な制約があるため、チーム編成やポストプロダクションの重要性を認識することも必要です。この点については、次回に説明します。

 

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 <執筆者プロフィール>

 

我妻和樹(あがつま・かずき)

1985年宮城県白石市出身。主な作品に、南三陸町を舞台にした長編ドキュメンタリー映画『波伝谷に生きる人びと』『願いと揺らぎ』『千古里の空とマドレーヌ』など。みやぎシネマクラドルでは2015年の立ち上げから代表を務める。令和3年度宮城県芸術選奨新人賞(メディア芸術部門)受賞。

 

海子揮一(かいこ・きいち)

1970年宮城県大河原町出身。建築家/ブリコルール/クリエーター。環境とコミュニティをテーマにした建築設計活動の傍ら、映像製作・イベント企画・造形デザインも手掛ける。より自然に近い環境を求めて、2018年より仙台市に隣接する村田町寒風沢の古民家に拠点を置く。

 

村上浩康(むらかみ・ひろやす)

宮城県仙台市出身。2000年よりドキュメンタリー映画の製作・監督を続けている。主な作品に『流 ながれ』(文部科学大臣賞)『東京干潟』(新藤兼人賞金賞)『蟹の惑星』(文化庁優秀映画)『たまねこ、たまびと』(2023キネマ旬報文化映画ベストテン第3位)など。新作『あなたのおみとり』を2024年劇場公開予定。

 

山田徹(やまだ・とおる)

東京出身、自由学園卒、映像作家。記録映画作家の羽田澄子監督に師事。東日本大震災後の福島をフィールドに映像制作を行なっている。過去作に映画『新地町の漁師たち』(第3回グリーンイメージ国際環境映像祭・大賞)。現在、映画『あいまいな喪失』(2024年公開予定)を制作中。

 


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