2023
03 02
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コラム 2024年08月18日更新
「ドキュメンタリー制作ノート」第5回:編集
※この企画は、ドキュメンタリー制作における一つ一つのプロセスについて、テーマごとにみやぎシネマクラドルの作り手が文章を執筆する企画です。2024年度の1年間で以下のテーマについて執筆する予定です。
第1回:企画・テーマ設定
第2回:撮影交渉
第3回:撮影準備
第4回:撮影
第5回:編集
第6回:試写(対象への確認を含む)
第7回:発表(自主上映会・劇場公開を含む)
第8回:完成後の対象との関係
第9回:失敗談
ドキュメンタリーを制作中の人、これから制作しようと考えている人の参考になれば幸いです。
なお、現在、みやぎシネマクラドルの会員がドキュメンタリーへの思いを自由に執筆する「わたしにとってのドキュメンタリー」も連載中です。そちらも是非ご一読ください。
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「ドキュメンタリー制作ノート」第5回:編集
■我妻和樹(あがつま・かずき)
ドキュメンタリー制作において、僕は編集がもっともクリエイティブで重要なプロセスと考えています。
まず、素材を見ていく上で、大きく3つの視点を大事にしています。一つ目は「撮影を進める中で浮かび上がってきた『描くべきもの』を具現化するには何が必要か」という視点。二つ目は「物語がどこから始まりどこへ向かって行くのか」という視点。そして三つ目は「虚心坦懐にそこに映っているものの情報や魅力を新たに発見していく」という視点です。
次に、この3つの視点を念頭に置いて、素材を「絶対に使いたい魅力的な映像」「重要な意味体系を持つ映像」「使わないかもしれない映像」の3種類に分類し、物語を構築していきます。
編集で心掛けているのは、それ自体が大きな力を持つ魅力的な映像をどう生かしていくかということです。例えば、一見すると物語の本筋とは関係ないような映像であっても、対象の人となりや生命の感触、その場の空気感を伝える映像というのは映画としての魅力を劇的に向上します。
また、ときにはナレーションや字幕で補足したり、音楽で演出したりする必要も出てくるかもしれませんが、作り手の「こう感じてほしい」「こう理解してほしい」という思いが強過ぎると観る人が窮屈に感じてしまうため、映像から自由に感じ取る余白を意識することも重要になってきます。
そうして長い時間をかけて試行錯誤を繰り返し、登場人物たちが自分の思惑を離れて映画の時間を活き活きと生きていると感じられるようになったとき、編集が楽しくて仕方がないという、いわゆる「ゾーン状態」に突入します。この時期に来ると、信頼できる人にラフカットを観てもらい、その意見を反映させるなど、作品の完成度を高めるための協力も得られるようになっていきます。
編集は、素材を見返すだけでも物理的に膨大な時間を要しますし、現実に変化し進んでいく時間がある一方で、自分の時間を止めて過ぎた時間に向き合い続けるという、精神的にも辛く苦しい作業です。
そのときに支えになるのは、「お世話になった対象や関係者のためにも、堂々と胸を張って世の中に発表できる作品をつくる」という気持ちだと思っています。
また、撮影終了時から時間が経ち、作り手・対象・社会が変化することで素材の持つ意味が変化することもあります。
そのため、すぐには完成させられなくても、作品が生まれ落ちる然るべきタイミングがあるという理解も必要になってきます。
■海子揮一(かいこ・きいち)
はじめに「編集」という技術は映像に限らず、人が生存するために獲得すべき基礎的な技術であることを述べておきたい。
編集されていないものを身の回りのもので見つけることは困難とも言えるほど、それは衣・食・住だけではなく社会、歴史などにも及ぶ。ここには共通して、主題があり、モチーフがあり、それらを構築する技術が存在している。同時にひとつの主観を軸に、あらゆるものが客体として寄せ集められた(=ブリコラージュ)構造を持っている。主題とは作り手が伝えたい物語のことであり、その物語にそって世界を再構築することを私たちは「編集」や「デザイン」と呼んでいる。
極論ではあるが「編集」は小学校からでも教えるべき学問だ。私たちは常に誰かが作った物語や価値観というフィルターを通して世界を見ているのだ、と認識する力は早いうちに身に着けた方が良いからだ。その視点から映像の編集の特徴を考えれば、これほど「編集」の技術と構造が分かりやすく明示されているものはないかもしれない。
ただし、冒頭から述べている「編集」とは編集ソフトを操作する時間に限定した話ではなく、交渉~撮影~上映など制作全般に織り込まれているのだが、この先は映像の制作工程上の編集段階に話を絞る。
ラッシュを済ませ、空白のタイムラインを前に「編集」の時間が始まる。それは作り手の主観の世界を鮮やかに研ぎ澄ます時間の入り口である。他の工程では他者への配慮を忘れてはいけないと述べてきたが、この段階はまったく異なる。一旦世界を客体化し、すべての意味から開放させた後に、自分のエゴイスティックな世界と向き合いながら構築していかなくてはならない。それは危険で甘美な魅惑の時間である。しかしその一方で、作品という形で他者に鑑賞してもらう以上は伝わる表現となっていなければならない。そのバランスを取るために、仮編集のものを他の人に観てもらい意見を聞くことが多いが、完成度が低い段階では避けるべきだと思う。伝えるための技術を獲得するための第一歩は、編集者自身がどれだけ映像の世界について理解しているか、作り手自身の中の他者であるもう一人の自分に向かって問いかけることなのだ。
具体的には編集ソフトを立ち上げるよりも先に、一度脚本や絵コンテを作ることが良いのではないかと考えて試している。観念が先行せずに、絵としてアウトプットしてから構成をデッサンしていくのは、建築の仕事で行っているエスキースと同じ思考の手法でありとても有効だと思う。
■村上浩康(むらかみ・ひろやす)
ドキュメンタリーの編集は、撮影した映像を元に一から構成を考えていくので、劇映画で例えればシナリオ執筆と編集を同時に行っていくようなものです。つまり編集次第でいかようにもなる、極端に言えば、黒いものでも白く見せられる、逆に白いものを黒く感じさせることも出来ます。ドキュメンタリー製作において、編集は特に主観が入り込む余地があり、たとえ意識していなくても事実に対しての表現が規定されます。これはドキュメンタリーの宿命です。
ですので、私はこれを前提に編集を進めていきます。まず時系列で繋いでいくことを放棄します。物事が起こった順に繋いでいっても、しょせんはバラバラな映像の羅列になり、初めてその映像に接する人には理解しづらいものとなります。わかりやすい例でいえば、人にあることを伝えるのに初めから順番にくどくどと話して一向に結論にたどり着かない話をする人がいます。そんな話を聞いていると、もっと整理するか、あるいは先に結論から言ってくれとやきもきした経験はないでしょうか。映画もこれと同じで、伝え方次第で相手が興味を持って受け止めてくれるかどうかが決まります。なのでどうしたらより伝わるのかを考えて事実を再構成していきます。バラバラに起きた出来事を整理して、物語として観る人に提示していきます。たとえ事実の順番でなくとも、本質(あくまでも自分の主観に依る本質ですが)を伝えるための最善策となるのです。
時間の再構成と共に重要なのは、音の構成編集です。ドキュメンタリーは現実を記録するので、現実音についてはあまり加工したり、付け加えないのが一般的なのでしょうが、私は音に関しては作品の殆どのシーンに何らかの手を加えていきます。音は映像に映っていないものでも表現できます。例えば室内でのインタビュー映像に船の汽笛の音を入れ込むだけで、そこは港の近くなのだと見る人は認識できます。わざわざ港の映像を入れる必要はなくなります。音から受ける情報は場合によっては映像以上の印象を残します。ですので、その映像に付けたら格段に効果が生まれる音や、撮影時には収録できなかった微小な音などを新たに加え強調することは作品に深い奥行きを与え、映像をよりリアルに立体的に浮かび上がらせます。
ドキュメンタリーは単なる現実の記録の羅列ではなく、製作者の創造性が大きく関与し、そのことが作品の質を大きく左右するのです。
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<執筆者プロフィール>
■我妻和樹(あがつま・かずき)
1985年宮城県白石市出身。主な作品に、南三陸町を舞台にした長編ドキュメンタリー映画『波伝谷に生きる人びと』『願いと揺らぎ』『千古里の空とマドレーヌ』など。みやぎシネマクラドルでは2015年の立ち上げから代表を務める。令和3年度宮城県芸術選奨新人賞(メディア芸術部門)受賞。
■海子揮一(かいこ・きいち)
1970年宮城県大河原町出身。建築家/ブリコルール/クリエーター。環境とコミュニティをテーマにした建築設計活動の傍ら、映像製作・イベント企画・造形デザインも手掛ける。より自然に近い環境を求めて、2018年より仙台市に隣接する村田町寒風沢の古民家に拠点を置く。
■村上浩康(むらかみ・ひろやす)
宮城県仙台市出身。2000年よりドキュメンタリー映画の製作・監督を続けている。主な作品に『流 ながれ』(文部科学大臣賞)『東京干潟』(新藤兼人賞金賞)『蟹の惑星』(文化庁優秀映画)『たまねこ、たまびと』(2023キネマ旬報文化映画ベストテン第3位)など。新作『あなたのおみとり』を2024年劇場公開予定。