コラム 2024年12月24日更新

「ドキュメンタリー制作ノート」第9回:失敗談


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※この企画は、ドキュメンタリー制作における一つ一つのプロセスについて、テーマごとにみやぎシネマクラドルの作り手が文章を執筆する企画です。2024年度の1年間で以下のテーマについて執筆する予定です。

 

1回:企画・テーマ設定
2回:撮影交渉
3回:撮影準備
4回:撮影
5回:編集
6回:試写(対象への確認を含む)
7回:発表(自主上映会・劇場公開を含む)
8回:完成後の対象との関係
9回:失敗談
第10回:フリーテーマ

 

ドキュメンタリーを制作中の人、これから制作しようと考えている人の参考になれば幸いです。

なお、現在、みやぎシネマクラドルの会員がドキュメンタリーへの思いを自由に執筆する「わたしにとってのドキュメンタリー」も連載中です。そちらも是非ご一読ください。

 

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 「ドキュメンタリー制作ノート」第9回:失敗談

 

■我妻和樹(あがつま・かずき)

 僕はこれまでの制作の中で、自身の至らなさから対象からの信用を失ってしまい、映像使用の同意が得られなくなった経験がいくつかあります。その結果、完成した作品を封印することになったケースもあります。

 ドキュメンタリーの場合、対象側の事情もさまざまあるので、同意が得られなくなる要因のすべてが作り手側にあるとは限りませんが、自身の失敗を振り返ると、自分に都合よく物事を進めようとして丁寧なコミュニケーションを欠いてしまったことまた対象の気持ちをしっかり受け止められなかったことが大きいのかなと思っています。

 のような独善に陥ってしまう大きな要因の一つとして、僕の中に対象の意向を無視してでも自分が求める表現を実現したいというエゴ存在しているからと分析します。つまり「自分がやっていることは"社会的意義"があるのだから、対象はそれに協力すべきである」という非常に傲慢な態度がときとして顔を出すのです。

 このような態度は、どんな作り手にも大なり小なり身に覚えがあるはずで、完全に無縁ななどいないのではないでしょうか。もちろん、通常は対象への敬意(あるいは畏怖や怯え)と倫理観によってれを抑制しているわけですが、作り手側がある一定の条件を満たした場合(例えば権力で上位にある、イニシアティブを取りやすい関係にある、自己愛が強い、焦って冷静な判断ができない等)れが上手く抑制できなくなり、対象の権利を侵害してしまう危険があるのです

 しかしこれまで繰り返し強調してきたように、ドキュメンタリーは対象との間に丁寧な合意があってはじめて成り立つ表現です。それを無視して推し進められることは暴力であり、表向きにはどれだけ立派なことを言ったところで何の意味も持たなくなります。そもそも対象の意思よりも自分のエゴが優先されてしまうとしたらそれは相手のことも描こうとしている問題のことも本当の意味で考えようとしているとは言えないのではないでしょうか。

 そんなとき、僕は何のために映画を作るのかという根本的な問いに立ち返ります。目の前の人の幸せや社会がより良くなることを願って映画を作るのか、それとも自分の承認欲求や自己実現など、自己都合のために人を利用するのか

 もちろん、対象からの信用を失うような失敗は本来あってはならないことです。しかしそこから先の選択で新たな失敗を重ねず、対象の尊厳と人生を守ることも大事なのです。

 

村上浩康(むらかみ・ひろやす)

 ドキュメンタリー製作において失敗とは何でしょう?失敗に関して私には忘れられない思い出があります。岩手県盛岡市にある花見の名所・高松の池を舞台にした「無名碑MONUMENT」を撮影した時のことです。

 満開の桜に囲まれた池の畔で「桜ソムリエ」としてボランティアガイドをしているUさんにインタビューをしました。池に植えられた桜の由来や歴史など多岐に渡る興味深い話を、Uさんは語り部のように饒舌に話して下さいました。話を聞くうちに何の変哲もないお花見の平和な風景が一変していきました。Uさんによれば、池の周りに咲く桜並木は日露戦争や太平洋戦争に深く結びついており、国策として戦意高揚の目的で植えられたものだったのです。その痕跡を示すものは残されておらず、花見に訪れる多くの人々も恐らくは知らない事実でした。その話を聴いているうちにあっという間に30分が過ぎ、話はひと段落しました。

 その時、私はとんでもない事に気づきました。カメラの録画ボタンが押されていなかったのです。もちろん自分では押したつもりでしたが、力が弱かったのか、ちゃんと録画されていませんでした。Uさんの話に聞き入ってしまい確認を怠ったのです。私は恐る恐るUさんにその事を告げ、丁重にお詫びをして、もう一度始めからお話いただけないかと頼み込みました。Uさんは唖然としながらも、怒りを抑えるように後ろを振り向きました。そして大きく肩で息をして、気持ちを落ち着けていました。

 私は申し訳ない気持ちでいっぱいなりながらも、今聞いた話をどうしてもカメラに収めたくて、何度もお詫びをしました。やがてUさんは振り返り、「もう一度話しましょう」と言って、同じ話をまた語り始めました。今度はしっかりと録画ボタンを押して、収録を確認しました。

 Uさんの話は更に熱量を帯び、口調も磨きがかかり、先程は出なかったエピソードも交えて、一度目を遥かに凌ぐものになりました。結果的にはより良い話が出来たとUさんも満足気でした。ここで文頭の問いに戻ります。ドキュメンタリーにとって失敗とは何か。人間である限り必ず失敗はあります。しかしそれを失敗のままにせず、どうにか取り戻し、むしろ活かす事も出来ないことではありません。無論、この場合はUさんの寛大さにすがってこそ実現できたのですが。失敗は犯さない方が絶対にいい、しかし起こしてしまったら、失敗のままに終わらせない粘りも時には必要なのです。

 

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 <執筆者プロフィール>

 

我妻和樹(あがつま・かずき)

1985年宮城県白石市出身。主な作品に、南三陸町を舞台にした長編ドキュメンタリー映画『波伝谷に生きる人びと』『願いと揺らぎ』『千古里の空とマドレーヌ』など。みやぎシネマクラドルでは2015年の立ち上げから代表を務める。令和3年度宮城県芸術選奨新人賞(メディア芸術部門)受賞。

 

村上浩康(むらかみ・ひろやす)

宮城県仙台市出身。2000年よりドキュメンタリー映画の製作・監督を続けている。主な作品に『流 ながれ』(文部科学大臣賞)『東京干潟』(新藤兼人賞金賞)『蟹の惑星』(文化庁優秀映画)『たまねこ、たまびと』(2023キネマ旬報文化映画ベストテン第3位)など。新作『あなたのおみとり』を2024年劇場公開予定。


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