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報告 2025年09月06日更新
第21回映像サロンレポート
7月6日(日)に第21回映像サロン「そして生きていく~難病ALS当事者 さまざまな暮らしの工夫~」を開催しました。
今回の発表者は、長年障害や難病の当事者の日常にカメラを向け続けてきた宍戸大裕さん。今年2月以降、全国で劇場公開された新作長編ドキュメンタリー映画『杳かなる(はるかなる)』(ALS当事者の葛藤や当事者同士の心の繋がり、周囲の人びととともに生に向かって歩む姿を3年半に亘って記録した作品)の宮城公開に合わせ、ALS当事者の日常を紹介する4つの短編映像を上映し、『杳かなる』の感想も含めて語り合う時間となりました。
まず、1本目の上映作品『眼にて云う』(2021年/9分15秒)では、口文字を中心にALS当事者とのコミュニケーションの方法を紹介。
徐々に全身の筋肉や呼吸機能が失われていく進行性の難病・ALSをめぐっては、病気の進行とともにそれまで確立していたコミュニケーション方法が難しくなってしまうなど厳しい現実に直面することが多いですが、その中でも進行に応じて新たな方法を模索するなど、当事者たちのさまざまな発明を知ることができました。
続く2本目の上映作品『Beyond ALS ~ALSとその先へ~』(2022年/10分45秒)では、当事者家族がヘルパーを利用しながら地域で生活する姿を紹介。
介護現場の問題の一つに、昔から根強くある「家族が支えるのが当たり前」という考えの中で家族が共倒れしてしまうことが挙げられますが、障害当事者がヘルパー制度を確立してきた歴史も踏まえながら、ヘルパーとともに生きる当事者家族の日常について知ることができました。
一方、ALS当事者の中には、住んでいる地域に介護事業所が少ないなど、環境的な要因から望むような支援をなかなか受けられない方もいます。また、人によっては進行する病状に気持ちの整理が追い付かず、前向きな気持ちになれなかったり、当事者との繋がりが持てなかったりなど、孤立してしまう方も多くいます。そのようなことも関係して、日本で10万人に一人発症すると言われるALS当事者の中で、気管切開して生きることを選択する人は3割とも言われているそうです。
その後上映した3本目『好きなところで好きな人と暮らしたい Part 1 ~自薦ヘルパー方式を活用する~』(2023年/10分)と4本目『好きなところで好きな人と暮らしたい Part 2 ~24時間介護保障を求めて~』(2024年/11分30秒)は、そうした人たちの思いを大事にしながら、「その人たちが何と出会えば生きる方向に向かえるのか」ということを意識して作られたそうです。そしてこれら4作品と並行して作られた長編映画『杳かなる』(2024年/124分)の出演者とのエピソードも語られ、苦悩や葛藤を含めた当事者の日々の暮らしに改めて思いを寄せる時間となりました。
宍戸さんは、障害や難病に関するドキュメンタリーを作ることになったきっかけについて、学生の頃に障害者の自立生活運動に出会い、「社会から遠ざけられるのではなく、社会の一員として当たり前に暮らしたい」という当事者の思いに触発されたことが大きいと語ります。その延長上に、『風は生きよという』(2016)、『道草』(2019)などの作品があることを予告編を観ながら話してくれました。
そんな宍戸さんが当事者の方々にカメラを向ける上で大切にしているのは、相手を置き去りにしないということ。撮る人・撮られる人という関係性はありながらも、作品に関しては同じ方向を向いて、社会に対して言いたいことを一緒に言う。そのために一緒に映画を作っていく。それをどの作品でも実現したいとのことでした。
また、障害や難病などセンシティブな題材を扱うに当たっては、その題材を撮るというよりも、人を撮る、人の生き様を撮るということを大切にし、そのことを出演者にも伝えているとのことです。作品がウソにならないためには、しんどい場面ももちろん必要になりますが、その一面だけでその人を捉えるのではなく、その人の魅力や自分の好きなところを存分に出したいとのこと。そうして宍戸さんのフレームの中で描かれることは、宍戸さんの身体を通した創作物であり、物語なのかもしれませんが、根本には「人間っていいものだな」と思えるものにしたいという思いが共通してあるとのことでした。そして参加者からも、「映像から監督のその思いが伝わってくる」との声が寄せられました。
今回、参加者の中には障害・難病当事者や身近にALS当事者がいる方、医療従事者、介護従事者などさまざまな方がいましたが、作品の感想のほかにもそれぞれの立場からの実感や問題が語られ、福祉や制度の課題について、また「障害」や「難病」という言葉では一括りにできない一人一人の違いについて、考えを深めることができました。
そして『杳かなる』の感想について、参加者からは、「当事者でないと分かり得ないことがあるということを思いながら、それでも自分自身と重ねて、どういうふうに生きていかなければいけないのかということを深く問いかけられた」などの声が寄せられました。対話の中から浮かび上がった、悩みながらも相手を理解しよう、分かろうと努めるコミュニケーションのあり方は、ドキュメンタリー制作の根幹にも重なるものであり、議論しながら多くの発見がありました。
以上のような形で、1年以上ぶりに開催した映像サロンは非常に有意義な時間になりました。宍戸さん、この度は発表お疲れさまでした!そしてご参加のみなさまもありがとうございました!