コラム 2023年08月29日更新

【結婚の定義コラム・その2】「ムカサリ絵馬」と「結婚」


 メディアスタディーズ「結婚の定義」では、法制度・文化・習俗など、さまざまな側面から「結婚」について考察しており、その一環として、考察の一助とすべく、結婚にまつわる各種テーマのコラムの公開にとりくんでいます。
 今回取り上げるのは、山形県村山地方の習俗「ムカサリ絵馬」。ここ東北で結婚について考察するのであれば、ぜひ知っておきたい貴重な習俗です。長年ムカサリ絵馬の研究にとりくんでおられる、鳥居建己さんに寄稿していただきました。




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 「ムカサリ絵馬」とは祝言や結婚式などの「結婚」の様子を描いた絵馬です。「絵馬」と言っても、神社やお寺でよく見るような手のひらほどの大きさの五角形の絵馬ではなく、大きいものでは1辺が1メートルほどにもなる絵です。紙に描かれたものや、木の板に描かれたものもあります。ムカサリ絵馬は山形県山形市周辺の「村山地方」と呼ばれる地域の寺院や観音堂に奉納が見られます。
 「ムカサリ絵馬」の「ムカサリ」とは、土地の言葉で、「結婚」や「花嫁」を意味します。「○○がムカサった」(○○が結婚した)や、「□□のムカサリがある」(□□の祝言がある)のように使われていたそうです(いまでも使うお年寄りの方はいらっしゃるとも聞きます)。そして、ムカサリ絵馬には、生きた人の結婚ではなく、死んだ人の死後の結婚が描かれます。

 現存しているムカサリ絵馬を調べてみると、明治30年(1897年)ころに奉納されたものが古く、それ以上古いもの、例えば江戸時代まで遡るものは見当たりません。私自身がこれまで行ってきた調査の他にも、しばらく前の調査ですが、昭和59年度(1984年度)に山形県立博物館が実施した山形県内の絵馬調査でも、調査された2083点の絵馬中、ムカサリ絵馬は18点あり、その中で一番古いものは山形市にある甲箭(こうせん)神社に明治28年(1895年)に奉納されたものでした(※1)。ところが、この調査では、ムカサリ絵馬以外の図柄の絵馬だと、江戸時代よりももっと古いものも確認しています(ちなみに、この調査は県内全域での調査だったため、奉納されている地域が限定されるムカサリ絵馬の点数が全体的に少ないようにみえています)。

 明治の後期に山形県の村山地方で始まったムカサリ絵馬の奉納ですが、基本的には未婚で亡くなった人のために奉納されます。山形市内のあるお寺でのムカサリ絵馬奉納を調査・分析した櫻井義秀さんという研究者は、ムカサリ絵馬の奉納を家制度の文脈で捉えました(※2)。家を継いで子孫を残すことができなかったような未婚の死者(特に長男)は、次の世代の親にはなれていないため、厳密には、「先祖」として後に供養される対象には含まれなくなります。しかし、そうした死者を死後に結婚させることで、家の人たちが先祖の一人として供養できるようにする、そのようなはたらきがムカサリ絵馬奉納の目的として考えられるということです。
 ムカサリ絵馬は、これまでしばしば「冥婚」という枠組みで論じられることも少なくありませんでした。「冥婚」とは中国の習俗に由来する言葉で、大正9年(1920年)以降、日本に輸入された言葉です。中国の冥婚とは死者同士を疑似的に結婚させるような習俗で、まさに後継ぎを残さなかった死者の未練を解消することが目的とされます。ところが、ムカサリ絵馬は、死者の死後の結婚を視覚的に表現しますが、その結婚は架空のものです。つまり、架空の結婚を表す(よって実在する人物との婚姻を表さない)ムカサリ絵馬には、冥婚のような実際の結婚に準ずるはたらきは期待されていないのではないでしょうか。

 

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 とはいえ、死者の架空の結婚を描いたムカサリ絵馬には、生きた人間の現実の結婚の概念が少なからず投影されていることもまた事実です。ムカサリ絵馬奉納が始まったころ、日本では、明治31年(1898年)に民法が施行され、「家」を主体とする規範(ルール)が整理されました。婚姻についても、家の代表者である戸主の同意が必要で、男性が女性を娶る(妻が夫の家に入る)ことが既定されるなど、規範が定められました。したがって、民法の施行とほぼ同時期に始まったムカサリ絵馬奉納に、家や、男性主体の結婚観が反映されていることは、うなずけるものでしょう。また、同様に、櫻井さんが調査されたような、家(檀家)との関係性を基盤とする寺院(檀那寺、菩提寺)におけるムカサリ絵馬奉納では、家の意識が強く表れていても不思議ではありません。
 興味深いことに、同じようにムカサリ絵馬が奉納されている山形市周辺の観音堂をみると、私のこれまでの調査の結果、菩提寺における奉納ほどには男性主体ではないことがわかります。たしかに菩提寺では男性による(男性名義での)奉納が多いのですが、観音堂では4割ほどは女性の名で奉納されていることがわかります。さらに興味深いことに、縁結びのご利益があることで知られている、天童市にある若松観音(若松寺)に奉納されてきた千点ほどのムカサリ絵馬の調査からは、近年では男女連名(夫婦)で奉納がされる件数が多くなっていることがわかります。かつては子の結婚は「家」の長である父親が責任を持つものという意識があったものの、現在では、家というよりも、むしろ、親(両親)の関わりが意識され、それが反映されているとも考えられます。観光地でもある若松寺でのムカサリ絵馬奉納には、他にも、今日的な変化をみることができます。奉納者の広域化と奉納数の増加、そして、描画様式の変化です。

 そもそもは山形市周辺の村山地方という地域で行われてきたムカサリ絵馬の奉納ですが、現在の若松寺には、日本全国から奉納があります。テレビやインターネットなどでこの習俗を知った人が、子どもや親しい親族のために奉納するようになったのです。多くの地域から奉納されることで、当然、奉納数も増加していきました。こうした傾向には、未婚の死者の死後の結婚の絵を奉納するという行為が、広く一般に受け入れられるものだということを読み取ることができます。では、こうして全国から奉納されるムカサリ絵馬には、何が求められているのでしょうか。

 私はムカサリ絵馬とは、死者の死後の幸せ(冥福)を表現し、そして、死者がその冥福の状態にあることを表現するものだと考えています。日本における結婚式の変化を研究した石井研士さんは、神前式からキリスト教式への移り変わりから、結婚式のイメージが「伝統」や「家」から「幸せ」に変化していったことを指摘しています(※3)。ちなみに、キリスト教式結婚式が増えた1980年代に、若松寺へのムカサリ絵馬奉納が広域化し、奉納数が増加しているという、無関係ではなさそうな傾向もあります。また、同時期、それまで祝言(結婚式)を描いたものが主流でしたが、結婚の当事者(新郎新婦)のみを描く様式も増え、次第に画一化していきました。そこには、結婚は当事者のものであるという意識も読み取れます(しかし、実際に奉納しているのは死者となった当事者ではなく、両親や家族なのですが)。

 ムカサリ絵馬には、未婚で亡くなった(そのため多くの場合、子どものころや若いときに亡くなった)死者を「不幸な」死者と前提し、そしてその死者の現在の(死後の)「幸せ」を表現するはたらきがあります。ムカサリ絵馬奉納のような習俗は、当然ながらそれ自体が単体として存在しているのではなく、実践者がいて、はじめて成立します。ムカサリ絵馬も、奉納者の名義や、全国的な受容と増加や、描画様式の変化など、時代に応じて実践者の意識が変わることで、変化してきました。そして、これまで変化してきたように、これからも、「結婚」のイメージが変化することで、死者の結婚のイメージであるムカサリ絵馬にもまた新たな変化をみることができるでしょう。

 

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1:山形県立博物館『山形県の絵馬―所在目録』(1985年)

2:櫻井義秀『死者の結婚』(2010年)

3:石井研士『結婚式 幸せを創る儀式』(2005年)

 

【文と写真:鳥居建己(とりいたけみ)】宗教学と民俗学を主な専門分野とする。人々の生きた信仰実践を「ヴァナキュラー宗教」として捉える視点から、特に山形県や宮城県における死者との関わり(死者供養)を研究している。これまで取り組んできた「ムカサリ絵馬」研究の成果を主題とした著書『死者の結婚のイメージをめぐるヴァナキュラーな信仰実践』を20243月に刊行する予定。


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