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コラム 2025年05月08日更新
【結婚の定義コラム・その3】永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことについて
「永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むこと」
なんのことかお分かりでしょうか。
いわゆる同性婚訴訟の判決文で各地の裁判所が示している「婚姻の本質」です。
「肉体的結合」とはずいぶん生々しい表現ですが、要するに「婚姻=セックス」ということですね。今の日本の法律では、そういうことになっています。
同性婚法制化推進運動は、世間では「家族になるのに性別なんか関係ないじゃない」みたいなほのぼのとした解釈をされがちだったりしますが、実際にはそうではないんですね。「婚姻=セックス」→「同性愛者は同性としかセックスしたくない」→「だから同性婚が認められないのは同性愛者に対する差別」という論理です。
でも、これは考えてみると不思議な話です。
どうして、セックスする関係だけそんなに特別扱いされなきゃいけないんでしょう?
男女だったらセックスする→子供ができる→できた子供を育てる、という流れがあるから分からなくもないですが、同性婚論議では当然ながらセックスと子作りは切り離されているわけです。さらにいえば、そもそも男女にしたって、避妊法や生殖補助医療の普及でセックスと子作りは相当程度切り離されているのが現状です。
それなのにどうしてなんでしょう?
セックスをしなくても、ただ支え合って助け合って暮らしているというだけでは尊重してもらえないんでしょうか?
誰ともセックスしたくない人や、誰にもセックスの対象として見てもらえない人は除け者なんでしょうか?
そんなこんな、いろいろと不思議な本邦の「婚姻の本質」ですが、婚姻に関する世論が盛り上がる中にあっても、この「本質」が表立って話題になっているのをほとんど見かけないのがこれまた不思議です。
昨今流行りのいわゆる自治体パートナーシップ制度でも、貞操義務やセックスに応じる義務を制度の中で規定しているところなんてほぼありません。「婚姻の本質」の重要な要素である「肉体的結合」が無視されてしまっているわけです。
いったいどうしてなんでしょう?
どうしてこんなにみんな、「婚姻の本質」から目を逸らしたがるんでしょう?
もしかしたら、多くの人たちが、そんな「本質」を、どこかおかしいと思いつつ、それでも求めているからなのかもしれません。
あからさまに白黒つけられないというか。白黒つけたくないというか。
婚姻の本質を見つめることで見えてくる、そんな矛盾だらけの世界。
それこそがまさに、婚姻の本質なのかもしれません。
矛盾を抱きしめながら私たちは、どこに転がっていくのでしょう?
【文と写真:MEME】1980年生まれ、宮城県出身・在住。アロマンティック(恋愛感情なし)でバイセクシュアル(女も男も性的対象)でノンモノガミー(1対1の性愛関係にとらわれない)でFtX(女として産まれ、性自認が女でも男でもない)。実は底辺ボカロPでもある。