報告 2024年07月16日更新

【結婚指輪エッセイ・番外編】祝祭と日常を繋ぐ輪


2024年61日(土)‐630日(日)せんだいメディアテーク1Fにて実施されたミニ展示「あなたの『結婚指輪エピソード』教えてください!」

 

パネルにカラフルに貼られたフセンメッセージの数々を眺めていて、感じたことがある。

 

結婚指輪って、「祝祭」と「日常」を繋ぐ輪(リング)なんだなあ、ということだ。

 

結婚指輪の最初の出番といえば、典型的にはやはり、結婚式での指輪交換だろう。 

結婚を決めたふたり(ふたりに限らない場合もあるが)が、こだわって選び求めた指輪を、祝福してくれる人たちの前で着け合う。実に晴れがましい瞬間である。

ウェディングドレス、ウェディングケーキ、ウェディングブーケ、そんな華やかでキラキラしたものたちに囲まれて、おろしたての指輪は左手薬指で輝くのだ。

 

しかし、結婚指輪にはウェディングドレスなどとは大きく異なる特徴がある。

結婚式という「祝祭」が終わり「日常」に埋没した後も、ずっと同じく左手薬指で共にあり続けるということだ。

ウェディングドレスを普段着にすることはまずない。本人たちでさえ、結婚式の際には普段しないようなヘアメイクでまるで別人のような姿かたちになるというのに、結婚指輪だけは何一つ変わらない。「祝祭」を輝かせた後は、そのままの姿で「日常」に寄り添い続けるのだ。

それ自体何も変わらないまま、「ハレ」と「ケ」の両方に深く関わり、重要な役割を果たすこのようなアイテムは、他になかなかないのではないか。

 

変わらない姿で、「祝祭」と「日常」を繋ぐ結婚指輪。

そのありようはまさに、「結婚」というもの、そのものも象徴しているように思う。

 

 

「結婚」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かべるのはどんなイメージだろうか。

 

華やかな結婚式?

 

それとも終わりなき日常?

 

おそらく、そのどちらも「結婚」に欠かせない、重要な要素なのだろう。

(もちろん個々の事例では、結婚式を挙げない夫婦や、挙式後すぐに離婚する夫婦などもいるが)

 

どちらか一方だけでは「結婚」の本質は語れない。

左手薬指で輝き続ける指輪は、そんなことを日々、教えてくれているのかもしれない。

 

 

【文:MEME1980年生まれ、宮城県出身・在住。アロマンティック(恋愛感情なし)でバイセクシュアル(女も男も性的対象)でノンモノガミー(11の性愛関係にとらわれない)でFtX(女として産まれ、性自認が女でも男でもない)。実は底辺ボカロPでもある。


x facebook Youtube