語ったこと・書いたこと 2014年12月03日更新

「時のおもり」に寄稿しました(『中日新聞』文化欄)


はじまりのごはん

 「3月12日 はじまりのごはん」。こんなタイトルの展覧会がこの秋、せんだいメディアテークのラウンジでひっそりと開かれていた。NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンターの共同企画である。二十年前の神戸の震災のときには「写メール」などなかったから、このような写真展を蝶番に、それぞれの思い出を交差させることなどありえなかった。  人の胸くらいの高さのパネルに、震災後はじめて口にした食事の写真が貼りつけられている。付箋が用意してあって、その写真を見た人が、思い出したこと、感じたことを思い思いに書き込んでいる。たとえば---- 「3・11は自宅に帰れたものの、何かを食べようという気がまったく起きず、そろそろ何かおなかに入れなければと思ったのが3・12の夕方。電気の止まった冷蔵庫の中で少し溶けた冷凍うどんを、ぬるくなったミネラルウォーターでゆっくり解凍し、醤油をかけて食べました。」 「3・11当日〜翌日までは緊張で食欲がわかず、ほとんど食べられませんでしたが、妻と子どもを無事実家の山形へ預けることができたら、とたんに腹が減って一日4〜5食食べました。」 「停電で電気が使えないので冷凍庫を大放出し、毎日、焼き肉食べてた(笑)。普段よりも食生活は充実していたかも。嫁が大事にしまっていた冷凍のウナギが満を持して放出された震災のごはんでした。」 「自分たちの食べものよりも犬の食べものを手に入れるのに苦労しました。」 「激しく同意!」と相づちを打つコメントから、写真からの連想でじぶんが震災後いちばん食べたかったものをリレーのように書き連ねたものまで、言葉が賑わっていた。  地震直後、すさまじい恐怖と不安のなかにあったはずなのに、ろうそくの明かりの下、ようやくありついたつましい食事を前にした顔にぽーっと赤みが差し、笑みがこぼれる。コンビニのガラス窓に貼られた手書きの呼びかけを撮ったものもある。こうしてまだ生きている、からだにじわじわ熱が回りはじめた......そんな思いが暮らしの崩壊のなかにあって細い一筋の光として射しているような。それが、写っていない惨事を逆に強く想像させる。  はじめてありついた温かい食には威力があった。ただ、おそらく独りではそうはいかなかっただろうとおもう。だれかとともにいただく「はじめてのごはん」。乏しい食材でも分けあって食べる。作る人と食べる人が刻々と入れ替わる。物よりむしろ仲間の赤く染まった頬をいただいているという感じ。食べるということの原点を見る思いがした。  食はじつは人と人との関係である。それがうまく編まれていないときには、人は食への欲求さえ失う。人間関係がうまくいっているか否か、その幸不幸はまず口に出るものだ。が、長く続いたグルメとダイエットの時代、食は記号と情報の世界に呑み込まれ、もはや人間的な意味の凝集する場所ではなくなっていた。飢えはむしろ、食と切り離された場所でより痛切なものになっていた。  震災は、生きるということの原点をわたしたちに思い起こさせた。「『はじまりのごはん』という言葉が頭の中でぐるっとまわって『おわりのごはん』のことについて考えてしまいます」という言葉に、はっとした。

『中日新聞』2014年12月3日掲載


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