語ったこと・書いたこと 2014年06月26日更新

「微風旋風」連載 7(『河北新報』朝刊文化欄)


考えるテーブル

 せんだいメディアテークには、「考えるテーブル」というプログラムがある。市民が企画した、だれにでも開かれた対話のセッションを、メディアテークがさまざまなノウハウや機材を提供しつつ支援している。現在も「てつがくカフェ@せんだい」や「ヤングファーマー農宴」など11のプログラムが動いている。  わたしが何より楽しみにしているのは、そのセッションを後ろに立ってじっと見つめること。とりわけこの7月に第35回を迎える哲学カフェは、15年ほど前にわたしが大阪で大学の同僚たちと始めたものなので、それが遠く仙台でも活動として定着しているのを見るのはなんとも嬉しい。  セッションが終わったあと、たまにアンケートをとるのだが、「なぜ哲学カフェに参加しようと思いましたか」という質問に、「ほかにこのような場所がないから」と答えた人が過去に何名かおられた。  そう、まさにそうなのだ。  わたしたちの社会で友だちといえば、たいていは同級生か同期生、つまりは同い年の人間だ。どうして20、30と年の離れた友人がめったにもてないのだろう。それをずっと不思議に思ってきた。いやそもそも、時代の懸案から人生の悩みまで、大事な問題を老若男女が、いっときその社会的なポジションを離れて、膝をつき合わせ、議論するという場が、この社会にはない。70代の老人が高校生とたとえば「家族って何だろう」という問題を議論するなど、ほとんど想像できない。が、哲学カフェではそれが起こる。そして何度も語りあっているうち、その2人が友だちになることだってあるかもしれないのだ。  社会のなかにそういう思いがけない接線を引くこと、それを「考えるテーブル」はめざしている。そこに生まれた小さな隙間をこじ開けて、同時代に起こっているさまざまな問題や困難を解決する道筋をみずから紡いでゆく、そんな関係が生まれることを希っている。そういうネットワークこそ、市民生活の足腰を強くするほんとうの力線になると信じている。

『河北新報』2014年6月26日朝刊「微風旋風」


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