報告 2023年12月18日更新

【レポート】第23回公開ミーティングを行いました


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今回の公開ミーティングには、2名の方が参加してくれました。中心的な話題となったのは、「素の自分とは?」でした。

 

 「素の自分はありのままでいられる自分」

 

 「先輩とか目上の人には出せない。壁がある。」

 

そのようなイメージの共有から対話が始まりました。

 

 「素の自分は相手や状況によって表に出したり出さなかったりする」

 

 「小さいときは素の自分とか考えなかった。大人になるにしたがって素の自分にだんだん壁ができてくる」

 

 「素の自分は核のようなもの」

 

ここから、素の自分という核とそのまわりをイメージについて話は進みました。

 

 「素の自分(核)の周りには膜のようなものがある。それはいろいろな人との関係で出来上がっていくもの。それがあるからひとりではできない反射を起こすことができる」

 

 「膜は壁のように取り外しできるものもあるし、素の自分に吸収されていくのもある。吸収することで素の自分も変わっていく」

 

 「桜の染物は枝を使っているものがある。花(見えているもの)が全てではない」

 

 「教会で行ったパレスチナの支援イベントで、お坊さんがギターを弾いて仏教の教えをうたう場面があった。核が同じであれば通じ合うことができるのかも」

 

 「素の自分」はさまざまなコミュニケーションの中で形を変えていくこともある。また、外に見える核のあらわれ方は異なってもわかり合うことができるのではという意見が出ました。

 

休憩をはさんで、後半は「大人って(わかっているのに)どうして天気の話をするのだろう」という疑問からスタートしました。そしてそれはコミュニケーションを円滑にするためではないかという話から学校生活のコミュニケーションに話が進みます。

 

 「学校でもお菓子を分けたりする」

 

 「中学生の頃、コロナ禍で給食は黙食だった。高校生になって最初はどういう形で食べようか迷った」

 

 「黙食のときみんな窓を向いて食べるクラスと映画を流していたクラスがあった」

 

コミュニケーションと食の関係が示唆されたエピソードがいろいろと出てきました。

一見、前半の「素の自分」とは全く違うところから話は始まったのですが、対話をすすめていくうちにコミュニケーションが「素の自分」と繋がるのではないかという意見も出てきました。


今回は少人数の公開ミーティングでしたが、生活上であったエピソードなどを交えながら「素の自分」や「コミュニケーション」について考えていきました。

 

次回は、2月24日(土)の開催です。ぜひ気軽に立ち寄ってみてくださいね。お待ちしています。

 

 

 


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