報告 2023年12月01日更新

【レポート】第22回公開ミーティングを行いました


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 今回の公開ミーティングには、2名の方が参加してくれました。中心的な話題となったのは、「友だち」でした。

「『友だち』と『本当の友だち』は、どうちがうのだろう?」

そんな問いかけから、「友だち」の定義についての対話が動き始めます。


「『友だち』が意味する範囲って実は広くて、例えばクラスが一緒だったり、美術室や理科室に移動するときにしゃべったりする人、のことだと思います。ほかには、ノートや教科書の貸し借りがあったりなどの、損得勘定が働いてしまうこともある。なんとなく、他人感があることもあります。」

 「一方で、『本当の友だち』には、生き方に尊敬できる部分があると思います。見返りを求めることなく、一緒にいられる関係性があるかな。お互いに価値を見いだせる。違和感がないし、いい意味で空気のような存在。」

 そこから、「部活のメンバーは、友だちだろうか?それとも、本当の友だちなのだろうか?」という問いが生まれ、さらなる対話が展開し始めます。

「仲間や戦友といった言葉に似ているかもしれない。でも、『仲間』と『友だち』は、違うのだろうか?」

 「だとすれば、『友だち』という関係性には、種類と段階があるのかもしれない。」

 つまり、「移動教室でしゃべる友だち」と、「部活で高め合う友だち」は違う。「何も言わなくても、お互いわかり合える友だち」には、「見えない絆」がある。また、「本当の友だち」というのは、だんだんと深まっていく関係性によって生まれてくるのではないか、という意見もありました。

  「本当の友だち」に対しては、関係性が深まった結果として、自己開示ができるようになるのかもしれません。また、一度、「本当の友だち」になると、その関係性が切れることはあまりなくて、いずれ別々の道に進み、なかなか会えなくなったとしても、再会したときは昔と同じように話すことができる。だから、「本当の友だち」には、時間が経っても、戻ることができる〈ポイント〉があります。例えば、共有できる思い出のように、一緒に過ごした時間をあげることができるかもしれません。
一方で、「『知り合い』から『友だち』になるのは、いつなのだろう?」という疑問も生まれました。
「共通点さえあれば、年齢や性別の壁を越えて『友だち』になることができる。でも、『友だち』という関係性が生まれていたことに気づけるのは、もうすでに『友だち』になってから、ということがほとんど。しかも、自然と気づくことが多い。さらにいうと、『私たち、友だちだよね?』とお互いに確認し合うのは、どこかうさんくさいと思う。」

 つまり、『本当の友だち』は、お互いに、「友だちであるという状態」を確認し合うことはないのではないか、という意見です。これは、前半にでてきた、「見えない絆」のことなのかもしれません。

 少人数の公開ミーティングではありましたが、話の尽きない時間を過ごすことができました。「友だち」のような身近なテーマであっても、これだけ深く掘り下げて考えることができる、ユースの皆さんのポテンシャルに、私自身も改めて驚いています。

 次回は、12月17日の開催です。ふらっとのぞくだけでもかまいません。ぜひ、のぞいてみてくださいね。


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