報告 2023年11月02日更新

【レポート】第21回公開ミーティングを行いました


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 3名のユースの方々が参加してくれました。

 今回は 「"多様性を認める"は可能か」というテーマをきっかけに対話を進めました。
そこから話題に上がったのはマイノリティや障がいのある人との共生について。そのなかでもとくに、「性」の多様性について対話が進められました。

「『多様性は大事』だという話はよく聞くけれど、『多様な人』が周りにいなければ、多様性について考えられない。」

「私は女性で、男の子を好きになるんだと思う。だから、同性の人を好きになる気持ちを丸々理解することは難しい。でも、その気持ちを想像することはできるし、同性の人を好きになるっていう人の存在を否定してはいけないと思う。頭ではそう思っているけれど、まだそういった人に出会えたことがなくて。もしかしたら、すでに出会っているのかもしれないけれど...いること自体がそもそもわかりにくくなっている。」

このような対話の流れの中で、
「『多様性』という言葉が、免罪負に使われているのではないか?」
という発言があり、さらにその言葉の意味を考えていきます。この発言は、"この社会では『多様性』という言葉が掲げられて、マイノリティの立場を尊重するとは言われているものの、マイノリティの立場にある人たちの存在が尊重されているとはいえないのでは"というユース参加者たちからの問題提起でした。


 そこからさらに「そもそも『認める』とはどういうことなのだろう?」という疑問があがります。

「『認めること』は『事実をありのままに受け止めること』だと思います。それは感情移入のような『共感』とは違います。」

「それって自分の思考に『余白を残しておく』ことだと思う。それは『自分の考えが100%正しい』と主張することではなくて、自分にはまだ見えていない『こういう考え方もあるよね』という、白い部分を作っておくこと。自分のなかに余白が残っていないと、相手を受け止めることができないと思うから。」


 また、ユースの参加者の方たちから「身近なところでマイノリティの立場にある人と出会えていない。」といった発言があった場面では、私が体験した「マイノリティの立場にある人とのエピソード」として、あるダウン症の子どもと過ごしたときのことを紹介しました。

 そして、身近にいるマイノリティの立場にある人たちの姿が見えにくくても、その立場は想像することはできるのではないか、多様性を認めることと序列を作ることとは違うのではないか。人と人との間に序列が作られることで、幸せになれる人はいないのではないか、といった話が展開されました。

 改めて考えてみると「ジェンダー」や「セクシュアリティ」をテーマに誰かと一緒に話し、考える機会って実は少ないのでは...と感じています。とくに、10代の人たちが広く「性」について考える機会は学校にはまだあまりないかもしれません。


 今回は、みんなで言葉を選びながら、そしてその場にいなかった「誰か」も含めた「他者の存在」に配慮をしながら、とても丁寧に対話を進めようとしていた姿が印象的でした。

 次回は、1112日(日)14:0016:00に開催です。ふらっとのぞくだけでもかまいません。同世代の人たちとの交流を、楽しんでみてください。


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