報告 2014年09月06日更新

第37回 てつがくカフェ「震災とケア」レポート


【開催概要】
日時:2014 年 9 月 6 日(土)15:00-17:30
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
話題提供:太田圭祐氏(名古屋大学医学部附属病院)

ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2014/09/37-.html


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写真1

今回は、東日本大震災当時、南相馬市立総合病院で救命医療に携わっていた医師の太田圭祐さんを迎え、その時の医療の状況についてお話しいただくところからスタートしました。会場のスクリーンには太田さんによるスライド資料が映され、現場の環境や医療対応の過酷さが痛いほどに伝わってきました。お話の中で特に印象深かったのは、病院から医療スタッフへ自主避難の指示が出された時、病院に留まるのか、家族の下へ帰るのか非常に悩み、今でも自分がした選択に罪悪感を抱いている医療スタッフが大勢いるということでした。

写真2

太田さんのお話をうかがった後、質問や感想を交えながら「震災とケア」をテーマに対話をしました。「社会におけるプロフェッショナルとは何なのか」、「そもそも私たちは他者に対してどれだけ犠牲を強いることができるのか」など、被災者を支援する側の立場に纏わりつく問題について議論が集中しました。そして、「個人と公の関係」や、「避難するためには選択という行為が付きまとうこと」、「プロフェッショナルとアマチュアの関係や責任の内容」、「自己犠牲と満足の関係」などのキーワードが挙がりました。

写真3

写真4

最後に、キーワードを元に「公と私は区別できるのか」、「被災者でもあるプロフェッショナルは、どこまで責任を負うのか?」、「個人にとっての満足と犠牲とは一体何なのか」といったような問いをいくつか立てていきました。

写真5

ともすれば、支援する側の立場の問題として〈閉じて〉いく可能性の高いテーマであるにもかかわらず、多くの方が、対話から導き出された問いを自らの問題として引き受け、真摯に考え、何とか〈ことば〉にしようとしてくださいました。今回の続きは「震災とケア2」として引き続き開催する予定です。支援する者/される者という境界線を超えて、「ケア」という営みに纏わりつく課題とその可能性について、粘り強く考えていきたいと思います。

写真6

報告:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=10749#report


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