報告 2014年10月26日更新

第38回 「"みんな"の避難所にとっての"自然"って?~震災とセクシュアリティ6~」レポート


【開催概要】
日時:2014 年 10 月 26 日(日)14:00-16:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
ファシリテーター:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2014/10/38-.html


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はじめに、ファシリテーターの房内さんから「"みんな"の避難所にとっての"自然"って?〜震災とセクシュアリティ6〜」という今回のテーマを設定するに至ったこれまでの対話の流れについて説明がありました。
このテーマは、前回の「震災とセクシュアリティ5〜これまでの問いを振り返る〜」から導き出された問いがもとになっています。前回の対話では、「避難所における<自然>とは?」という問いが立てられ、また、"みんな""自然"など定義しにくい語、そしてその解釈から派生して挙げられた"みんなの避難所"という語について、さまざまな意見が交わされました。そこで、今回はその問いと語を引き継ぎ、より深く考えるべく対話を進めていきました。

写真2
対話の冒頭で、テーマを考えていく上でどのように言葉の意味を捉えるかという話題になり、「"避難所における<自然>"を問うのは何故か?」「"みんな""避難所""自然"とは何なのか?」というふたつの意見が挙げられました。
ここから、テーマに組み込まれている"みんな"や"避難所"という語それぞれに焦点を当てた意見が出され、対話が広がっていきました。
「避難所を今後どのように設計するか」という問題提起から、避難所とはそもそもどのような場所か、安全とは何かを考える意見も出されました。また、「"みんな"という言葉はいつから使われ始めたのか」という疑問から、最近使われやすい言葉であるという意見や、マルクスやレーニンが提唱した政治思想のスローガンとしても使われてきた言葉であるという意見も出されました。

写真3

その上で、"自然"という言葉の使われ方を考えるにあたり、根本のテーマである「震災とセクシュアリティ」について自分たち自身に問いかけるような意見が交わされました。"マイノリティ"という言葉を用いるとき、性的な意味で捉えるのか、多数派に対しての少数派という意味で捉えるのか、また、"自然"を"一般社会"や"ありのまま"と言い換えて使う際に、その言葉が指す枠から溢れる人、見えない位置にいる人が"マイノリティ"と当てはめられるのではないかという意見もありました。
実際の避難所の様子についても例を挙げながら対話は進み、"みんな⇔自然"や"告げられない"、"日常/非日常"などをキーワードに、次のような問いが立てられました。

・個人的なことを告げられないことは、震災を経て変化したのか
・非日常における公共の福祉を問う
・告げられないこと全体について問う

今回は、一つひとつの言葉が持つ深みを考えていく中で、「震災とセクシュアリティ」という根本のテーマに立ち返る問いが生まれたように感じました。今後も、あらゆる視点からテーマを掘り下げ、対話を通して根気強く考えていきたいと思います。

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報告:千葉真澄(てつがくカフェ@せんだい)





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=10860#report


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