報告 2019年09月18日更新

【レポート】第71回てつがくカフェ


【開催概要】
日時:20198月18日(日)13:30-16:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)

(告知ページ:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2019/06/71.html

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 東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から、9年目を迎えようとしています。その月日の流れのなかで、震災についての考え方、意識、関心、関わりかた...などについて、一人一人の間に、細やかな〈違い〉があるように思います。この〈違い〉に、より丁寧に向き合っていけるように、昨年度から、その場に集った人たちと共に、テーマを決めるところから、てつがくカフェを始めています。

 今回は、「表現とは何か?」というテーマのもとで、対話をしていくこととなりました。震災に関わらず、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の展示中止といった、ホットな話題について語ってみたいという思いも、ここにはあったように思われます。

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 また、初めて参加をされた方からは、

「できれば、震災については話したくない」

 といった発言もありました。もちろん、震災について語ることを無理に強いる必要はありません。その一方で、震災については全く話してはいけないと、語りを妨げることにも、少々違和感を覚えてしまいます。大変難しい、琴線に触れるような話題ではありましたが、今回は、震災に触れるような話をしようとするときには、「震災については話したくない。」という思いを受け止めて、その方のお気持ちを尊重しつつ、お互いがお互いを慮るように、言葉を選んで交そうとする雰囲気が、生まれていたように思います。

 その雰囲気のなかで、震災について、直接に触れずとも、ゆるやかに震災と繋がるような語られた言葉もありました。震災を経験した人同士だからこそ、共有できる「辛さ」というものがあり、共有することで気持ちが楽になることもあるのではないか。また、心に溜め込んでいたことが、何かをきっかけにして、大粒の涙が溢れるように、ぶわっと表出してしまうこともあるのではないか。

 戦争を経験したある方からの発言です。戦争については、同じ時代を生きた人同士でなければ、話をしていても、深いところで通じたとは感じられない。でも、真摯に話をしていくことで、何か伝わるものがあるかもしれない。それは、にじみでるようなものではないか。

 また、震災から数年後、東京で、原発事故後の福島についての展示を見たときに、なぜか不快感が湧きあがってきた経験についてのお話もありました。その話からは、「よい表現とは?」「わるい表現とは?」といった切り口や、出来事と時間との関係性についての疑問が、生まれてきました。

 また、「表現の自由」という言葉には、公的な意味合いがこめられていること。そして、表現されたものを受け止めるためにも、受け止める側が、チャンネルをひらいておくことも大切ではないか、といった発言もありました。

 そして、少しの休憩を挟みつつ、次は「表現とは何か?」を考える上で、重要になると思われるキーワードをあげていきます。

〈キーワード〉

  • 自分
  • 伝わる
  • 通じる
  • 伝える/伝わる
  • 受けて
  • あて先
  • 不都合

 そして、キーワードの意味を吟味しつつ、「表現」についての定義をこしらえていきました。

〈定義〉

・表現の自由を守るためには、有形無形のスポンサー次第

・表現とは、送り手の考えをあて先に伝える手段

〈できるならば通じる状況にしたい〉

 処暑の頃とはいえ、まだまだ厳しい暑さにも関わらず、お越しいただいたみなさま、本当にありがとうございました。

次回のてつがくカフェは、11月3日(日)13:30~16:00の開催となります。次回も、震災という経験を背景にしつつも、集った方々と共にテーマを決めるところから、対話を始めていきたいと思います。お待ちしております。

黒板の写真はクリックすると拡大してご覧いただけます。

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