語ったこと・書いたこと 2014年01月09日更新

「微風旋風」連載 1(『河北新報』朝刊文化欄)


はじめての東北行き

 2011年5月、せんだいメディアテーク内の仙台市民図書館の業務再開にあたって催されたイベント「歩きだすために」で講演をさせていただいた。震災後、数十日しか経たない時期に、被災された方々に向かってじかにお話をするということで、とても緊張したのを憶えている。沿岸の集落で目にした光景に言葉を失ったあと、こんどは館内に入り、図書館のカウンターに行列をなす人びとの姿にふれて、おもわず目頭が熱くなった。  続く強い余震への不安のなか、それでもじっとページに目を落とす人びと。かれらはいくつもの異なる時間が分厚く折り重なる日常が、「被災」の時間へと有無を言わさず収束させられてゆくことに漠とした不安をおぼえ、それとは別の時間にしばし自分を漂わせておきたいと願ったのかもしれない。あるいは「被災」の経験とはかけ離れた場所からの声に一時ふれたいと思ったのかもしれない・・・。  その満席の図書館でふと思い起こしたのは、四十数年前の自分であった。  はじめて東北を訪れたのは、十九歳の夏だった。「大学闘争」とよばれる運動の渦中で、煮つまりというか塞ぎのようなものを感じ、ふと思い立って東北に向かった。寺山修司の詩や演劇に魅せられていたこともあったのだろう、まず下北の恐山へ向かい、そこから十和田湖、立石寺へと南下した。浅虫では、宿でお世話いただいた年配の女性のことばが一語も聞き取れなかった。山形では、財布が底をついたので駅のベンチで朝を迎えた。  旅から戻ったあと、しばらくして、青森出身の永山則夫による連続殺人事件を描いた新藤兼人監督の映画「裸の十九歳」にうち震えたのは、おなじ十九歳のわたしであった。大学の混乱のなかでもみくちゃになっていたわたしは、東北という地で、短いとはいえおよそ異質な時間のなかに身を置いたことで、自分を破裂させずにすんだ。

『河北新報』2014年1月9日朝刊「微風旋風」


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