語ったこと・書いたこと 2014年05月01日更新

「微風旋風」連載 5(『河北新報』朝刊文化欄)


仙台と京都

 ホームタウンは京都市、勤め先はずっと大阪、個人としての仕事はほとんど東京、という状態が33年続いた。都市による空気の違いをたっぷり味わうという幸運に恵まれてきた。  そして、仙台市に毎月通うようになって1年が過ぎた。京都と仙台は街並みから料理までずいぶんちがう。なかでもとくに異なるのは、市民の社会活動。京都はたしかに町内会の力は強いけれど、NPOやボランティアなどの社会活動は仙台よりはるかに弱い。  どうしてそうなんだろうと統計をいろいろ調べてみて、面白いことを発見した。人口移動の特徴である。  京都市は学生が人口の10人に1人を超える。2位の東京23区が18人に1人だから、全国でも突出して多い。仙台市は6位。だが他の都道府県からの入学者を見ると、京都市は過半数を優に超えて1位、そして仙台市は過半数弱で2位である。ともにアウェーが多いのだ。  ところが、人口の移動率を見ると正反対。転出入率で仙台市は全国3位なのに対して,京都市は下位クラス。仙台市の人口は5年間で2割が入れ替わると市の職員の人から聞いたが、逆に学生以外の転出入がうんと低いのが京都市なのである。それで合点がいった。  京都のような古い都市や地方の過疎の町村というのは、成員のかなりの部分がたがいによく見知っていて、公共性を動かすにもしきたりという根強い型がある。それを改編するにはよほどの知恵と根気が要る。一方、大都市周辺の「ニュータウン」(巨大集合団地)も古いところは過疎化に見舞われ、新しく開発されたところは見知りの人がほとんどいない点で、これもまた公共的な活動を編んでゆくのに工夫が要る。  これに対し、政令指定都市でなおかつ人口移動率が高い仙台のようなところは、期間限定の市民が、旧市民と協働しておこなう社会活動のなかで、「他所ではこういうふうにやっているよ」というふうに、外からの情報、別の発想を持ち込む。そしてそのことが、公共的な意識や行動を活性化する要因の一つになっていると考えられる。  この連休はどっぷり仙台詰め。あいだにこの仮説をどこかで検証してみたい。

『河北新報』2014年5月1日朝刊「微風旋風」


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