報告 2025年03月16日更新

【レポート】第35回公開ミーティングを行いました


今回のユースてつがくカフェでは、まず話したいテーマを出し合いました。「知らないことって悪いこと?」「正しい努力は誰が教えてくれる?」「わがまま」「さびしさ(さみしさ)」といったテーマが挙がり、その中からまず「さびしさ」について話し始めました。

さびしさは、人を動かす原動力になるのではないか。たとえば「さびしいから友達を作る」というように、人とつながるきっかけになることもある。一方で、高校卒業後、同窓会が企画されたものの参加者が少なく中止になったという経験が共有され、「あのころは楽しかったけど、みんな今は別の場所にいて、自分は前と同じ場所にいる」という孤独を感じた話が出されました。また、「集団の中にいても話についていけないときのさびしさ」「むなしさとの違い」についても考えました。

 

そこから、「さびしそうに見られたくない」という気持ちについても議論が及びました。たとえば「みんなでトイレに行く」のは、さびしいからというより、「一緒にトイレに行く友達がいないさびしい人だと思われるのが恥ずかしいから」なのかもしれない。「さびしい人は、人生を楽しんでいないように思われる」と感じることがあるのではないか、という意見もありました。そこから、「見栄を張ること」についての話題へと展開しました。

 

「見栄を張る」といえば、知らないことを知っているふりをしてしまうことがある。けれど、後になって恥ずかしくなることもあるので、最近は知ったかぶりをしないようにしている、という声がありました。また、「ほめること」についても話が及びました。ほめることが多い方が、人を好きになれるし、受け入れやすくなる。ただし、ほめるという行為には「比較」や「評価」という視点が入るため、上から目線になりやすい。一方で、ポジティブでいいねと言われたときは、評価されているというより、対等に認められた感じがして嬉しかったという意見も出ました。「おいしい」という言葉は、他と比較するのではなく、ただ幸せを共有できる言葉だからいい、安定感がある、という考えもありました。派生して、陰口の無意味さについても話されました。本人のいない場で話される悪口は、現状を改善するものではないし、悪口を言っている人の評価を下げる行為ではないか、人を好きになった方が得ではないか、という意見もありました。ただ、振り返ると自分も陰口を言ってしまうこともある、ということも共有されました。

 

「正しい努力とは?」という問いでは、「試験で結果が出れば正しかったのか?」という疑問が出されました。100個の英単語を覚えて試験に出なくても、それが無駄とは言い切れないのではないか。努力の価値は試験だけで決まるものではない、という考えもありました。

また、「進路の選び方」について先生に「妥協するな」と言われた経験から、「進路変更は妥協なのか?」という問いが生まれました。周りには妥協に見えても、自分の中で考え抜いた結果なら調整ではないかという意見があり、「今は妥協に見えても、これからの選択で正解にできる」と考える人もいました。「知らないことって悪いこと?」という問いについても話し合いました。知らないこと自体は悪くないが、「知ろうとしないこと」にはネガティブな印象がある。ただ、どこまで知るか、知ろうとしないかは自分で決めるもの。その結果をどう受け止めるかも含めて、自分自身の選択なのではないか、という考えが出ました。

 

今回は、一つのテーマから次々と新しい問いが生まれる活発な対話の場となりました。次回は、427日(日)の開催です。ぜひ気軽にお越しくださいね。お待ちしています。


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