2023
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報告 2025年10月31日更新
【レポート】第42回公開ミーティングを行いました
ユースてつがくカフェでは、最初に自己紹介をしています。今回は、大学進学を控え、ひとり暮らしを始める予定の参加者が自己紹介で話した「理想のまち」というテーマから対話を始めました。
その参加者は道路の脇に木々が並ぶ仙台の街並みを思い浮かべながら、「自然と共生できるまちが理想」と話しました。一方で、別の参加者からは「カモシカやクマといった野生動物がいて危ない面もある」という意見も出されました。また、まちを新しく作り変えるよりも、ゴミやタバコのポイ捨てを減らす工夫をしながら今あるまちをきれいにしていく方が良い、という意見もありました。適度な距離感のご近所付き合いがあることも、理想のまちの要素として挙げられました。
話題は身近な自然へと広がり、自動販売機のボタンに貼り付いたカエルを「かわいい」と感じた経験や、蚊に刺されやすい体質で、今年も多くの蚊を殺生してしまったことに対する複雑な気持ちが共有されました。蚊は病気を媒介する害虫とされますが、幼虫の時期には水中のバクテリアを食べて水をきれいにするそうです。「害虫」「益虫」といった区別も、見方によって変わるのだという気付きがありました。また、河川敷で鳥が魚をついばむ様子を見て、「自分が自然の中にお邪魔しているように感じた」と話した参加者もいました。
続いて、「自分ってどこまで、という範囲」について話しました。爪や髪の毛は自分の一部ですが、切り落とされた爪や髪の毛は、自分ではないように感じます。赤ちゃんも、産まれる前はへその緒でお母さんとつながっています。また、プラナリアという生き物は、切るとそれぞれが別の個体となり生きていきますが、左右対称に切った場合、どちらが元のプラナリアなのでしょうか。「プラナリアと死」について意見を交わしながら、「自分が見ている自分と、他人が見ている自分」に話題が移っていきました。
小学生との劇で「怖い警察官」を演じた参加者は、演技にもかかわらず本気で泣かれてしまったそうです。その経験から、相手の感じ方によって自分の印象が大きく変わることを実感したといいます。自分のふるまいも相手によって変わるため、「出会う人の数だけ自分がいる」という気付きにつながりました。
「よくウソをついてしまう」という参加者は、「ウソをついている自分も本当の自分に含まれるのか」という疑問を持ちました。
そこから、テスト前に「勉強していない」と言ってしまう心理について、みんなで話してみました。その背景には、①失敗したときの落ち込みを避けたい気持ち、②相手の様子をうかがうための駆け引き、③仲間と同じでいたい安心感、といった理由がありそうでした。また、エイプリルフールはウソの難しさを知るためにあるのでは、という意見も出されました。
後半は、「壊す、壊れる」「さみしさ」「笑い」について話しました。
壊すことは一般的に悪いことのように思われますが、壊すことで使いやすさが生まれたり、壊されたものを組み合わせて新しいものが生まれたりもします。また、思い出を忘れることについて、「自分の内面が少しずつ朽ちて壊れていくことのように感じる」と話す人もいました。自然界には、不要になった細胞が死んでいく「アポトーシス」という作用があり、壊れること自体が生き物の自然な営みではないかという意見も出ました。
ある参加者は、愛用していたNintendo DSが壊れてしまったときに、「ゲームの中を旅した記憶が宿っているようでさみしくなった」と話し、「物や他人に宿る自分の一部」について思いを馳せました。別の参加者が口にした「何かが壊れて、思い出が消えてしまっても、楽しかったという事実は残る」という言葉が印象に残りました。
「笑い」については、壊れることや狂うこととの近さが話題になりました。一言に笑いと言っても、大爆笑もあれば、可愛さに笑ってしまうこと、大金を手にしたときの笑い、破顔など、色々な種類があります。「音痴の歌を聴いたときに生まれる笑い」が気になった参加者は、がんばっている人を応援する気持ちも含まれているし、差別的な、蔑みのような気持ちも含まれているような気もする、と考えました。
最後に、「考えるとはどういうことか」ということを少しだけ考えてみました。考えるとは、言葉を与えること、他人の立場に立ってみること、反射的にはできないこと、という意見が出されたところで終わりの時間になりました。
今回は、大学生を含む4人が参加し、異なった立ち位置からたくさんの言葉を交わすことができました。
ユースてつがくカフェは、10代のみんなが自由に思いや考えを語れる場です。
ぜひ、気軽に参加してみてくださいね。