コラム 2023年10月19日更新

一本の(  )から考える○○のこと:深海魚群


鈴木史(すずき・ふみ|映画監督、美術家、文筆家)

  

  

古びた1冊のノート。セピア色になったそのノートは展示のために表紙が少しだけ開かれていて、無理に腰をかがめて覗き込むと、1ページ目に青いインクでこう書かれていた。

「深海に生きる魚族の様に、自ら燃えるのでなければ何処にも光はない。」

表紙に目を戻すと、「深海魚群」「大島渚」とある。この言葉はハンセン病の歌人・明石海人(あかし・かいじん)の歌集の序文にあったもので、まだ学生だった大島渚はこの言葉を自身の座右の銘にしようと思ったのだそうだ。そのことは以前から知っていたけれど、映画監督になる前の大島渚自身による、飾らない走り書きのような筆跡のその言葉を学生時代のこのノートに見た時、その後の大島の激烈なキャラクターや作風とは違う、なにか澄んだ印象を受けて不思議な気持ちになった。彼の激しくも怜悧な作品群のなかで例外的に、『キョート・マイ・マザーズ・プレイス』(1991年)という、幼少期を過ごした京都への愛憎と母への真っ直ぐな思慕を謳った作品に初めて出合った時のような、澄んだ印象だった。今年の初夏、東京・京橋の国立映画アーカイブで開催されていた「没後10年 映画監督 大島渚」展でのことだ。

この連載の依頼をせんだいメディアテークの小川直人さんから頂いたのはそれより少し前のことで、ちょうど「追悼 ジャン=リュック・ゴダール映画祭」へのトークショー登壇の依頼を、主催する映画配給会社の私よりずっと若い女性から、ごく丁寧なメールと電話で頂いたすぐあとだった。トークショーと言えば、小川さんがこの連載依頼をくれたきっかけも、おそらくは昨年、宮城県の塩竈市杉村惇美術館で行った個展や関連企画での自身の監督映画上映と彫刻家・評論家の小田原のどかさんとのトークを見に来てくださったご縁だろうと思う。それこそ大島渚監督が亡くなった10年前は、故郷の宮城から東京に出て来て、映画学校に通いながらも、地下鉄で映画館に通うばかりの地底人のような日々を過ごしていた自分だけれども、映画やアートの作り手として活動する今は何かしらのトークショーに呼んで頂くことも多くなった。地底人が舞台に上がるというのは、どうも不思議な感じがする。驚くべきことに、中には毎回のようにトークショーを見に来てくれる人もいる。その一人に、私よりひとまわりくらい年長の女性がいる。彼女は私が表舞台に出るようになる前にも一度お会いしたことがあり、その後ずっと応援してくれてるのかなと思うと、内心とても嬉しい。でも、伝えられずにいる。

ある日、下高井戸シネマに七里圭監督『背 吉増剛造×空間現代』(2021年)を見に行ったら、その方が来ていた。終映後、ふたりで少し言葉を交わしながら、下高井戸駅の階段を登っていると、彼女は階段を上がることに脚がやや負担を感じるのか、歩みが遅くなっていた。それに気付くのに一瞬遅れた私は先に数段登ってしまって、「ああ、なんて私は馬鹿なんだろう」と顔から火が吹く思いで、足取りを少しずつ緩め、歩調を合わせた。私も昔、脚が思うように動かせなくなったときがあったのに、なぜ他人のことには気が回らないのだろうと情けなくなる。

サラっと書いてしまうけど、私は現在の日常生活を女性として過ごしていながら、出生時は男性としての性別を割り当てられたトランスジェンダー女性だ。しかし、そのような生き方を許されなかった過去、精神的な苦痛が体に出てしまい、皮膚が荒れ、脚が不自由になって、杖をついていたことがあった。でも、そんなことをつらつらと彼女に話しているわけには行かない。もう階段を登り切ってしまうし、電車が来てしまう。家に帰れば、おたがいに仕事がある。

限られた時間しか与えられていない現代人が、誰かが負担に感じていることを適切な言葉に変えて、その相手に投げかけることはとても難しい。私だって、「トランスジェンダーなんですってね? いろいろ大変でしょうけど、がんばってくださいね」などと言われたら、心の中では「上から目線だなぁ、アンタもがんばれよ〜」などと意地悪を言いたくなってしまったりする。でも、大変なことが多いのは事実だから、本当は心配もしてほしい。そのふたつの気持ちのあいだでいつもバラバラに引き裂かれそうになる。冒頭に大島渚の座右の銘となったのが、明石海人によるものであることを書いたが、明石と同じくハンセン病に罹患していた北条民雄の小説『いのちの初夜』や彼の随筆を読むと、自身がハンセン病であると分かったその日から、他人の視線が急に刺々しく感じられ、あろうことか同じハンセン病患者を「彼らは自分とは違う」と蔑むような、外界から閉じてゆく心理に落ち窪んでゆく姿が描かれている。私もそんな心理が少しは分かってしまうし、今よりさらに生きることがうまく行かず、時には人から酷い言葉を投げかけられるようなこともあった頃は、そういう閉じた心理がとても強くなっていた。だから繰り返しになるけれど、誰かが負担に感じていることを、当人以外が言葉にしてその相手に投げかけることはとても難しいのだ。それがたとえ、思いやりから来るものであったとしても。

大島渚やゴダールのような新世代の映画作家の登場を準備するきっかけになった映画監督に、ロベルト・ロッセリーニという人がいる。彼は第二次大戦が終わると同時に、戦禍で荒廃したイタリアの街で撮影を行い、『無防備都市』(1945年)という傑作で世界を驚かせ、後続の作家に強い影響を与えた。私は彼の作品のなかでも、『神の道化師、フランチェスコ』(1950年)という目立たない作品が大好きだ。脚本はフェデリコ・フェリーニが書いている。13世紀初頭の聖人フランチェスコは、イタリア中部の町アッシジの生まれで、アッシジのフランチェスコとも呼ばれる。その映画の中にこんなシーンがある。

フランチェスコがある夜、森の中で神への祈りを捧げていると、暗闇の向こうからカランカランと紐にぶら下げた空き缶がぶつかり合うような金属音が聞こえる。フランチェスコが目を凝らすと、皮膚が変形し、ぼろを纏った男が林の中を杖をつきながら歩いてくる。ハンセン病に罹患した浮浪者だ。フランチェスコは彼に歩み寄り、抱きしめ、神に祈るのだが、皮膚が変形した彼の顔から表情の変化を読み取ることは出来ない。彼はフランチェスコの手をそっと押し退けると、杖をつきながら夜道を去っていく。そのとき彼は一度だけ立ち止まって、フランチェスコの方をそっと振り返り視線を投げかけると、また夜道に消えてゆく。「Dio.(神よ)」と呟き、フランチェスコは泣き崩れる。その聖人の純粋さには胸が打たれる。涙が出る。でも私の心には少し引っかかるものがある。ハンセン病の浮浪者はフランチェスコを振り返ったあのとき、いったい何を考えていたのだろう。もしかすると、フランチェスコの他者を救いたいという思い、この世界の不条理を嘆く気持ちなど、彼にはありがた迷惑そのもので、聖人のエゴに映ったかもしれないじゃないかとモヤモヤするのだ。事実、多くの人が聖フランチェスコの名前を知り、この挿話を知っている人もいるが、あのハンセン病の浮浪者の名前を知っている者は誰もいない。

人と違う、周りとは違う。そんな視線を受けて、社会の周縁で生きることを強いられてきた人々は、どこか他者との関わりの中で注意深くなり、孤立しやすい。他者の心中を察しようとするからこそ、他者に触れるのが怖い。痛みをシェアすることはとても難しい。でも、あの浮浪者は、なぜ一度はフランチェスコの方を、つまり私たち観客の方を振り返ってくれたのだろう。それは、「視線というのはあなただけのものではない、私にもあなたを見つめ返す視線があるのだ」と、もしかすると聖人フランチェスコよりも遥かに繊細に、彼が思いを受け渡した瞬間だったのではないだろうか。

国立映画アーカイブでの「没後10年 映画監督 大島渚」展は、2023年の86日に閉幕した。私は、大島監督の言葉のひとつひとつ、その意志にあまりにも感動して、二度も展示を見に行ってしまった。大島による『ヨイトマケの唄』の実現しなかった映画化企画書や、スラム街で炎加世子が鋭い視線を走らせる『太陽の墓場』のスナップ写真、テレビドキュメンタリーとして撮られた『忘れられた皇軍』(1963年)の台本をじっとみつめて、ごくごく単純に「私も凄い映画を撮ろう」と子供のように思って、気持ちが高揚していた。

今、私たちは『神の道化師、フランチェスコ』のハンセン病の名もなき浮浪者の彼こそが、脇役ではなく主人公となれるような映画を見ることができる時代を生きている。大島の座右の銘から出発して、考えを巡らせたていた私は、ぼんやりそんなことを思う。

展示会場を出ると、二度とも真夏の太陽が燦々と周囲を焦がしていて、大島渚作品はいつもこんな真夏の太陽の下か、もしくは真冬の雪景色を描いていたことを思い出した。私は横断歩道を渡ると、道路の反対側から、国立映画アーカイブの窓ガラスに貼られた大きな掲示物をスマートフォンで写真に撮った。両脇の街路樹に挟まれて、オフィス街に大島渚の顔がふたつも並んでいる。右下には、黒い日の丸が妖しく浮かんでいる。デザイナーは村松道代さんだ。

「深海に生きる魚族の様に、自ら燃えるのでなければ何処にも光はない」

私は30歳を過ぎた「大人の女性」失格かもしれない映画少年のような子供っぽい感傷を胸にして、その言葉を呟きながら、炎天下を避けひとりで地下鉄駅の階段を降りてゆく。でも、大島渚はノートに「深海魚」ではなく「深海魚群」と書いていた。そう、私たちはひとりじゃない。

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『神の道化師、フランチェスコ』(せんだいメディアテーク映像音響ライブラリー所蔵)


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