コラム 2024年01月24日更新

一本の(  )から考える○○のこと:一本の映画から考える三つの新宮(しんぐう)のこと


堀口徹(ほりぐち・とおる|建築映画探偵、建築批評家、近畿大学建築学部)

 

「新宮に行く道は三本ある。名古屋から松阪を通り尾鷲(おわせ)を抜けて来る海岸沿いの道と、大阪から田辺、白浜を抜けてくる道、後一つは、奈良から十津川を通り本宮を越えてくる道である。(中略)この三本の道のどれをとるかによって、新宮は、違った貌をした土地に見える」----中上健次『紀州 木の国・根の国物語』

東京から車で新宮に行く道は熊野川を渡るが、現在建設中の熊野川河口大橋が完成すると(完成予定は2024年秋頃)、それは熊野大橋、新熊野大橋に続いて三本目の橋ということになる。熊野川河口の南西側に広がる三角形の土地に広がる新宮というまちは3という数字に縁がある。今回は三本の映画を取り上げて、それぞれに描かれた新宮をトレースしてみたい。

 

海としての新宮:『溺れるナイフ』

ジョージ浅倉の原作漫画を映画化した『溺れるナイフ』(山戸結希監督)は菅田将暉と小松菜奈がダブル主演したことでも話題になった作品。東京でモデルとして芸能活動をしていた望月夏芽(小松菜奈)が浮雲町(海と山に挟まれた架空の田舎町)に家族で引越すところから物語は始まる。夏芽の父親(斎藤陽一郎)の実家はその浮雲町で七代続く老舗温泉旅館あづまや(原作では、ひねもす屋)を経営している。その跡を継ぐため家族で移住することになったのだ。前のめり気味に運転席と助手席に座る両親に対して、乗り気でないまま後部座席に身を沈める主人公を乗せた(どことなくスタジオジブリの映画のオープニングを思わせる)マイカーは、熊野大橋ではなく新熊野大橋を渡り新宮に入る。夏芽たちがたどり着いた旅館あづまやは新宮から内陸に40キロほど山を上った田辺市本宮町の湯ノ峰温泉に実在する温泉旅館である。旅館で行われた歓迎会を抜け出し、海辺の神社の奥にある禁秘の海に忍び込んだ夏芽は、夜の海で神聖な光を纏う同じ歳の少年コウ(菅田将暉)と出会う。原作の舞台である浮雲町は架空の田舎町だが、山と海に囲まれた閉塞感、半島的状況で足掻く若者の苛立ち、物語の鍵を握る火まつりに重なる神倉神社の御燈まつりなど、新宮が浮雲町のモデルだという説も納得できる。映画はほぼ全編が田辺市本宮町、那智勝浦町、串本町、そして新宮市といった紀伊半島南部で撮影されている。すでにある程度情報公開されているロケ地に関して建築映画探偵としてやるべき仕事はあまりない。しかし建築映画探偵は単にロケ地を特定するだけでなく、むしろ映画のロケ地探しをきっかけに他の映画とのあいだ、さらにはロケ地にまつわる現実世界の出来事や失われた記憶とのあいだに独自の物語世界をつくり出すのが本務である。とはいえ、その前に、旅館あづまやとその足元を流れる湯筒(ゆづつ)という組み合わせは奇跡的なロケ地だと言っておきたい。夏芽とコウが夏祭りに出かける紀伊勝浦駅前商店街など、まちのシーンは那智勝浦町での撮影の方が多く、新宮市内で撮影されたのは二人が通う学校のシーンを除けば、権現河原や丹鶴城址(たんかくじょうし)、神倉神社などあまり多くはない。強いていえばロケ地の重心は紀伊半島南部の海沿いに偏っているだろうか。夏芽が初めてコウと出会う禁秘の海のそばにある鳥居は朝貴神社、夏芽が古い漁港近くでコウを追いかけるのは勝浦漁港脇仲地区にある江南橋。漁業倉庫の隙間を抜けた先の船揚場に係留された釣船で沖合に出る二人を見守る弁天島、二人が絡れながら落ちる海の向こうに浮かぶ紀の松島、さらには橋杭岩(はしぐいいわ)。これらの奇岩たちは熊野古道大辺路の海岸線を縁取ってきた風景だが、中上健次的な枯木灘に連なる風景でもある。しかしラストシーンで夏芽とコウがバギーに二人乗りして疾走する海岸線だけは枯木灘ではなく、南紀白浜を越えた先にある白崎海岸である。半島的な閉塞感から逃れて、さらには東京とは違う方角へ走りたかったのだろうか。白崎海岸を疾走する二人の背後に映り込む奇岩は立厳岩(たてごいわ)。実は神代辰巳監督の『黒薔薇昇天』(1975年)のオープニングとラスト(この映画は時空間的対称性を持つ)に登場するロケ地でもある。

「新宮という土地は大きく二つに分かれている。いまはもう跡かたなく削りとられたが、土地の真ん中に龍が臥したようにあった臥龍山(がりゅうざん)を境にして、海寄りを熊野地、熊野の山々とその臥龍山に挟まれるようにあったところが新宮。その新宮を、よく人は、まち、という。単に繁華街というより、開けた場所という意味で、使うのである。」----中上健次『紀州 木の国・根の国物語』

 

まちとしての新宮:『軽蔑』

『溺れるナイフ』が海寄りの新宮を撮ったとするならば、中上健次の遺作を原作とする『軽蔑』(監督:廣木隆一監督/2011年)は山寄りの新宮を撮った映画といえるだろうか。歌舞伎町の人気ストリッパー・真知子(鈴木杏)を連れ出したチンピラ、カズ(高良健吾)が高跳びして車で向かったのが新宮である。原作を読むと、名古屋で私鉄に乗り換えた先にある、とか、駅を降りて左手に大きな樹木がある、とか、あるいは、松林の向こうに黒い砂粒の海岸がある、といったようにカズと真知子の逃避先が新宮であることを思わせる記述はあるが、カズの故郷が新宮であるというはっきりとした記述は見当たらない(と思う)。もちろん中上健次の小説なのだから故郷は新宮で間違いないだろうが...。この映画についても充実したロケ地マップがすでにインターネット上などに公開されており、新宮と那智勝浦が主なロケ地であることが示されている。ちなみにカズと真知子が車で新宮に入るときにも、熊野大橋ではなく新熊野大橋を渡っている。赤いトラス橋に入った瞬間、カメラは、おそらく熊野川を少し上がったところにある鮒田水門あたりまで引いて、新熊野大橋の全景をフレームにおさめ、紀宝から新宮へ渡るカズの車を捉える。新宮への入り方はともかく、この『軽蔑』は中上健次が言うところの、熊野の山々と臥龍山に挟まれるようにあった「まち」としての新宮を描こうとしている。映画の中でカズが勤め先の酒屋の配達で回る大王地(だいおうじ)界隈、カズが父親に土下座して借金の肩代わりを懇願する岡本時計修理店がある阿須賀町界隈の路地空間、さらには仲之町商店街(純喫茶バンビ)などはいわゆる中上健次的な「路地」そのものではないが、区画整理や地区改良の対象とならなかったためかろうじて残り続けている新宮のまちが丁寧に選ばれている。この他にも、なぜかトラックバックとトラックアップを切り返すカメラワークで時折挿入される無人の路地空間のショットが、失われた「路地」の残り香を呼び覚ましてくれるような気がする。カズが少年時代から通う喫茶アルマンのオープンセットが組まれたのは新宮城址(丹鶴城址)の後背地で、熊野川に面した池田港の跡地である。時の流れがとまったかのような空気感を醸し出すマダム役の緑魔子がなんとも素晴らしいが、アルマンの外観にも同じような空気感が欲しかった。真知子がアルマンの常連客の銀行員と口づけを交わす印象的な「浮島」バス停のシーンは、新宮の松林の防風林が途切れる王子町の「大浜」バス停を美術で加工したものである。新宮の浮島と言えばかつて遊郭があった土地でもある。沼に浮かぶ島の中にある蛇穴に飲み込まれた遊女の伝説は、かの上田秋成の『雨月物語』の「蛇性の淫」の元になったと言われている。瀕死のカズが、ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)でジャン=ポール・ベルモンドが演じるミシェル・ポワカールのように、今にも倒れそうになりながら歩く仲之町商店街のシーン。その直前にカズが山畑(大森南朋)を襲撃するビルは、中上健次が生まれた「路地」を解体して整備された改良住宅に隣接していることも指摘しておきたい。

 

中上健次によれば新宮という土地は二つに分かれている。その二つの新宮のあいだに三つめの新宮があるとしたら、それは新宮を二つに分けていた臥龍山そのものであり、その縁に流れ者たちが住み着いて形成された「路地」なのかも知れない。

 

見えない新宮:『路地へ 中上健次の残したフィルム』

臥龍山も「路地」も新宮にはもう存在しない。しかしその失われた第三の新宮を探し求めた映画がある。故・青山真治監督の『路地へ 中上健次の残したフィルム』(2001年)である。これは、中上自身が撮影した16ミリフィルムに残された風景に、語り部として登場する井土紀州(いづち・きしゅう)が朗読する中上の紀州三部作等のテキストを重ね合わせ、臥龍山なき新宮を歩きまわりながら「路地」の痕跡を探し出そうとする映画。まさに建築映画探偵の道標のような映画である。この映画の中で、松阪市からいくつかのトンネルを通過し紀宝町に到達した青山たちは、新熊野大橋ではなくあえてその横に架かる古い熊野大橋を渡って新宮に入る。橋を渡る途中で(井土紀州が乗船している)熊野川を下る船から鉄橋を見上げるショットに切り替わる。のちに青山真治が自身の故郷・北九州を撮った『サッド ヴァケイション』の若戸大橋を予感させるショットである。熊野川を進む船からの視線は、かつて存在した臥龍山の残滓のような新宮城址(丹鶴城址)と蓬莱山のあたりを眺めているように見える。この二つの隆起のあいだの谷間には、後に『軽蔑』でアルマンのオープンセットが出現する池田漁港がある。熊野川の権現河原から上陸した井土紀州はオークワ新宮仲之町店というデパートの立体駐車場から新宮のまちを眺める。このデパートはかつて臥龍山があった土地に建てられているが、かつての臥龍山の高さからの視界には、浮島やその手前にあるアートビル(『軽蔑』でカズが襲撃するビル)も見えている。臥龍山なき新宮のパノラマは、北に控える山の中腹にある神倉神社からも眺められるが、その眼下には中上健次が通った新宮高等学校も見えている。続いて、井土紀州は臥龍山の記憶を身体で確かめるかのように、石積階段を登り、新宮城址(丹鶴城址)の山に分け入る。井土が歩く改良住宅地区の映像が、かつて中上自身が残した春日地区(中上が生まれた被差別部落)のありし日のフィルム映像に切り替わる。春日地区の中央付近にあり、中上が三本の道が集まると語る「天地の辻」は、もしかしたら、やはり三つの道が集まると語られる新宮の中心だったのだろうか。その中心は「鬱血した路」が自然発生的に集積してできた「路地」に囲まれていた。その「路地」も区画整理により消去されてしまったが、「天地の辻」に面してあった駄菓子屋らしき建物の面影がかろうじて残っている。地区改良事業により「路地」を解体した後に整備されたRC造二階建の改良住宅のあいだを歩く井土紀州は、もはや存在しない風景の残像を探して彷徨っている。その姿はゴダールの『新ドイツ零年』(1991年)でベルリンの壁崩壊後のドイツの街を東西の方向感覚を失いながら彷徨う私立探偵レミー・コーション(エディ・コンスタンティーヌ)のようにも見える。新宮駅のホームから線路を挟んだ反対側を走る道路脇の金網に寄り掛かり、井土紀州が中上健次の一節を読み上げている。線路脇の道路に向かって数本の細い路地がある。その一角に「一寸亭」という飲み屋がある。この細い路地にはかつて新地のバラックが建っていた。『岬』の最後で、主人公・秋幸が腹違いの妹と思われる女性と衝撃的な接触を果たす「弥生」や、『枯木灘』に出てくる「モン」があった新地の細い路地。「弥生」も「モン」も「一寸亭」も今となっては存在しないが、それらが建っていた細い路地だけは、かろうじていまも残っている。中上健次の墓前に立ち寄るシーンに続いて、枯木灘の海の風景で青山の映画は終わる。

『路地へ 中上健次の残したフィルム』は、中上健次の紀州サーガを含む複数の小説に描かれた風景、中上健次が撮影した16ミリフィルムに残されたありし日の「路地」の風景、そして青山たちが訪ねた撮影当時の風景が重なる多層的な時空間である。これに『溺れるナイフ』や『軽蔑』、そして青山真治監督の北九州三部作、さらにはいまこれらの映画を見ている私たちが生きる時空間、現在の新宮におけるロケ地やその周りの風景を重ね合わせることで、映画を見るという行為がさらに多層的な物語世界へと広がっていくのではないだろうか。

 

 

(参考)

中上健次『紀州 木の国・根の国物語』(角川書店)

中上健次『岬』(文春文庫)

中上健次『枯木灘』(河出文庫)

中上健次『地上の果て 至上の時』(講談社文芸文庫)

中上健次『日輪の翼』(河出文庫)

中上健次『軽蔑』(集英社文庫)

ジョージ朝倉『溺れるナイフ』1巻〜17巻(講談社コミックス別冊フレンド)

青山真治『われ映画を発見せり』青土社

渡邊英理『中上健次論』(インスクリプト)

青山真治『青山真治クロニクルズ』(リトルモア)

新宮市ウェブサイト:映画『軽蔑』新宮ロケ地マップ(https://www.city.shingu.lg.jp/info/298

 

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『溺れるナイフ』(監督:山戸結希/2016年) (せんだいメディアテーク映像音響ライブラリー所蔵)

『軽蔑』(監督:廣木隆一/2011年)

『路地へ 中上健次の残したフィルム』(監督:青山真治/2001年) (せんだいメディアテーク映像音響ライブラリー所蔵)


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