コラム 2024年03月29日更新

一本の(  )から考える○○のこと:思いどおりをやめてみる


髙橋梨佳(たかはし・りか|NPO法人エイブル・アート・ジャパン東北事務局スタッフ

 

岡山県岡山市にある古い民家を改装した診療所に、ひとりの医師をたずねて患者さんが次々とやってくる。82歳のその医師は、もうまもなく引退することを決めている。書類にペンを走らせる机の上には、一枚の写真。クリスマス会のときのものだろうか、そこにはサンタクロースの赤い帽子をかぶった医師とトナカイのツノをつけた同じ年代の女性が並んで写っている......。

そこは、1997年から2016年まで、精神科の外来診療所「こらーる岡山」(以下、こらーる)があった場所です。「合唱」という意味を持つ「こらーる」は、当事者の声に支援者の声を合わせるという、当事者主体の場を目指し、精神科医の山本昌知(やまもと・まさとも)先生が中心となって、患者さんや家族、ボランティアと一緒に開設されました(註1)。

2008年に公開された映画『精神』は、その「こらーる」が舞台となったドキュメンタリー映画です。「観察映画」という独自の手法でドキュメンタリーを撮っている想田和弘監督がカメラに映る人一人ひとりの了解を丁寧に得て撮影されました。この作品は、「病気ではなく人を看る」がモットーの山本先生の言葉を体現するように、病名で括ることで見えなくなるものをとらえようとしていたと思います。

その『精神』の公開から約10年が経ったころ、山本先生の引退の報に接し、想田監督がふたたびカメラを回して2020年に公開されたのが『精神0』です。この映画は、山本先生の引退までの日々と、そこから浮かび上がってきたパートナーの芳子(よしこ)さんの存在、そして夫婦の日常が描かれています。

今回は、この『精神0』に描かれたふたりの日常から見えてきたことを、書いてみたいと思います。

 

映画は、引退を目前に控えた山本先生をたずねて診療所(このころこらーるは「大和診療所」という名前になり、山本先生は非常勤で働いていた)にやってくる患者さんと山本先生の対話の場面からはじまります。

母親と一緒に診察室にやってきた患者さんが小さな声で話しはじめると、山本先生は座っていたキャスターつきの椅子を滑らせ、ぐっと患者さんに耳を近づけます。その場にとどまって「え?」と聞き返すのではなく、目の前にいる人の声をひろいにいこうとする82歳の素早い動きに、山本先生がこれまでどのように患者さんと向き合ってきたのかを垣間見たような気がしました。

「ぼくはな、あんたがな、今日まで生きてくるためにした努力いうたらすごいと思うぞ。思いどおりになることなんてほとんどないんだからな。それを耐えて耐えて、生きてるんだからな」

「人間の凄さみたいのを感じさせてもらった」

眠たそうな目をしてボソボソとそう話す山本先生の声には、患者さんへの深い尊敬の念が込められていました。

 

カメラを携え自ら撮影もする想田監督が山本先生と芳子さんの自宅に招かれて3人で過ごす場面では、お茶を入れたりお菓子の袋を開けたりといった日常の何気ない動作も80代の夫婦にはままならず、思わず手を貸したくなってしまいます。けれどそんなこちらの心配をよそに、出前で頼んだお寿司が新鮮さを失うなか、お吸い物を用意したり日本酒の瓶のふたを開けたりするのに時間がかかっても、川の流れに身を任せるように慌てることのないふたりの姿は、思いどおりにならないことに鬱々としてしまう日々に深呼吸を促してくれるようでした。

芳子さんは隣に座る想田監督の飲み物を飲もうとしたり、突然「犬が泣き出したね」と言って庭を見に行ったり(けれど犬の姿はなかった)、ときどきまちがうことがあります。映画のなかでは語られませんが、このころの芳子さんは認知症が進み、デイケアに通っていました(註2)。そんな彼女の行動は時に突拍子もないものの、なんでもないことのようにも映るのは、芳子さんの発言をだれも否定しないし、芳子さんがまちがうたびに山本先生も想田監督もほんとうに楽しそうに笑うからだと思います。

途中で画面がモノクロになり『精神』撮影当時の映像が差し込まれると、そのなかに会食の席でテキパキと動く芳子さんの姿がありました。長い間一緒に暮らしてきた人が以前のように身体を動かしたり話をしたりしなくなったとき、それを受け入れることは簡単なことではないかもしれません。たびたび映画のなかで映し出されるふたりの写真は、その変化と抗えない時間の流れに無理なく自分の身体を合わせていけるように、そっと寄り添ってくれているような気がしました。 

illustration_zero.jpg

(『精神0』より/絵:髙橋梨佳)

過去のモノクロ映像のなかで夫婦の仲について聞かれた芳子さんが、すこしためらいながらその関係性を「穏やかな海」にたとえて話す場面があります。たしかにそれまでは波の静かな夫婦の日常が映し出される一方で、芳子さんが背負ってきたものがあることも、カメラは捉えていました。たとえば、家にいるときも山本先生が患者さんの相談の電話をとっていること。芳子さんとなんでも話す仲だという友人からは、山本先生が患者さんを家に連れてくることもあり、芳子さんがまだ小学生の子どものことを心配しながら患者さんの世話をしていたことも語られます。患者さんに向き合うことと普段の生活が地続きであったことは想像に難くありません。山本先生が脱いだ靴をそろえても自分の靴はそのままで家に上がる芳子さんの何気ない動作からも、山本先生が生涯をかけて精神医療に身を捧げ、患者さんに向き合ってこられたのは、芳子さんの存在があったからだとわかります。

 

映画の終盤、山本先生が運転する車でふたりはお墓参りに出かけます。車を降りて墓地まで歩く道のりは、足腰の弱ったふたりには不安定な坂道がつづき、墓地に着いても、さらに不安定な土の道と大きな段差を乗り越えなければ、山本家のお墓にたどり着けません。初めは腰の曲がりつつある芳子さんの手をにぎり、山本先生が先を歩くという順番だったのが、途中から「ちょっと待っててな、ぼくが先に行くけん」と声をかける山本先生を無視して芳子さんが先に行ってしまう。彼女に怖いものはないようで、息を切らしながらお墓を掃除し、マッチを忘れたことに気づいて火のつかないお線香を挿していく山本先生の横でただ待っている。帰り道、ふたたび手を取り合って並んで歩くふたりの後ろ姿は、凸凹でも、お互いの足りないところを補い合いながら泳いだ先に、穏やかな海を見ているような気がしました。思いどおりにならない現実を前に、そのことに耐えるより、ただ目の前のできごとを受け入れることは、ずっと難しいのかもしれません。しかしそうできたときの先に穏やかな時間もあることを、老いた身体を持って伝えてくれているのだと思いました。

映画を見ながらわたしは、山本先生と芳子さんの姿を、数ヶ月前に病気で亡くなった父とそれを見送る母の姿に重ねていました。病気がわかってから最期を迎えるまでの約2ヶ月間、それまで健康に過ごしていた父も、ゆっくりとときには急に身体が動かなくなり話ができなくなっていく父の変化を見ていた母も、思いどおりにならないことにつよく耐えていたのだろうと思います。病室には母が持ってきた20代のふたりの写真が飾られていて、わたしは気恥ずかしくさえ思っていたのですが、いま思えば写真はただ思い出に浸るためのものではありませんでした。40年以上ともに生きてきた人を喪うとはどういうことなのか、わたしには想像が及ばないけれど、ふたりが耐えてきたこと、受け入れたことはほんとうにすごいことだなと思っています。

 

(註1)『ひとなる--ちがう・かかわる・かわる』(著:大田堯・山本昌知/2016年/株式会社藤原書店)p.275

(註2)「精神医療に人生を捧げた医師とその妻が歩んだ「これまで」と「これから」にカメラを向けて。 『精神0』想田和弘監督インタビュー(前編)」(Cinemagical 2024年3月26日最終アクセス)
https://cinemagical.themedia.jp/posts/8109705/


『精神』(せんだいメディアテーク映像音響ライブラリー所蔵)

『精神0』(仙台市泉図書館所蔵)


x facebook Youtube